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そしてダニエルの受難は続く?〜映画『ドラゴン・タトゥーの女』(12.03.01)

 前にも書いた気がするけれど、ダニエル・クレイグは最初『ロード・トゥ・パーディション』のギャングのダメ息子+『トゥーム・レイダー』でのヘタレ考古学者が印象的で、それが『ジャケット』と『ミュンヘン』で一転・ふてぶてしいタフガイを演じて、以来なんだか気になる俳優。基本ラインは「タフ&ヘタレ」か。ハリソン・フォードと共演した昨年の「カウボーイズ&エイリアンズ」も、ありえないようなアホ映画で実に好かった。
 そんなわけで月に一度の映画の日。『ドラゴン・タトゥーの女』を観てきました。バイオレントだけど、面白かった。でもカップルで観る映画ではないと思う。
・この洋ロックファンの度肝を抜いた予告篇を見てくれ(YouTube動画)
 ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーが担当した音楽は、ピアノ(?キーボード?)が不安をそそるアクセントになっていて、自分には嬉しい予想外。『ロスト・ハイウェイ』や『ソーシャル・ネットワーク』を観てないので彼の映画音楽は分からないのだけれど、バンド時代「あなたもたまにはピアノで作曲してみたら」と言われて(いつもはギター)よおし、やってやろうじゃないか!と張り切ったものの超スランプに陥り、ようやく5年後に出た二枚組のアルバムに使えたピアノ曲は一曲だけだったという逸話があったので…。
 でもって作中、とある大ヒット曲が、とんでもない使われかたをしていて(移民の歌じゃないよ)「げひゃー」と思いました。先に記したように相当バイオレントな内容なんだけど、どんな暴力より「ここでその曲!?」というのに一番の狂気を感じた。

 しかし今回の映画、不満がないわけではない。ダニエル演ずる主人公と、「ドラゴン・タトゥーの女」、二人をまだまだ、食い足りてない、もっと観たい気がするんですけど!?…原作は今回の話を第一部にした三部作ということなので、…たぶん近日中に原作に手を出してしまうと思います。
 当然、映画のほうも第一部と予告では銘打っていたのだけれど
 原作は世界的ベストセラーだが、デビッド・フィンチャー監督による今回のハリウッド版、どうも本国アメリカでの観客動員は芳しくないらしい。その理由はなんだか分かる気もするが(作品として優れてないというわけではない、ただこれは喜ばれないだろうという内容ではある)
 『007』『ライラの冒険』に続いてダニエル、またしても続篇ポシャリか。007はどうにか製作再開らしいけど、これは彼に運がないのか、あるいは彼が何か悪運をもたらしているのか。またミカエルとリスベットのコンビを今のキャストで観たいんだけどなあ。
      *     *     *
『ミレニアムは、』のちに三部作を一気読み。面白かった(映画では抑えめだったが原作主人公モテすぎ!島◯作か!とは思ったが)。一時期続篇制作が危ぶまれた007は、このあと『スカイフォール』がシリーズ最大のヒットとなる。

マスゲーム異聞〜石田幹之助『長安の春』(12.03.02)

 他の本を読む合間に少しずつ、石田幹之助『増訂 長安の春』(東洋文庫)を読み進めていると思し召せ。表題作「長安の春」は昭和七年の著述だが、昭和二十一年に発表された「唐代風俗史抄」に、ちょっと面白い記述があった。
 −や、日記のタイトルで丸わかりな通り「マス・ゲエムとでもいふべきものの話でも致しませう」なんですけどね。

 唐代の娯楽・見せ物には西方から渡来した胡舞と呼ばれる踊りや、綱引き、綱渡りなどがあり、かの玄宗の前で披露されたことが当時の詩文などから明らかなのだが。こうした中に「字舞」ないしは「花舞」「図舞」なるものがあったらしい。
 これは数十人から数百人が笙(しょう)や鼓(つづみ)・篳篥(ひちりき。わりと貧弱ぎみなMacの日本語変換で一発で出てビックリだ)・琵琶・方響・拍板(はくばん)などによる管弦の「オオケストラにつれて一糸乱れず舞ひ踊るレヴィウのやうなもの」だそうで…方響・拍板は分からないが笙や鼓・篳篥に琵琶といったラインナップが日本の平安時代のそれを思い出させ、面白いので(単に「管弦」でよいところを)長々と引いてしまった。篳篥(ひちりき)といえば『陰陽師』で笛名人の源博雅が吹く、アレですね。

 話を戻すと、まずは8×8=64人の隊列で踊る「慶善楽」という文舞・120人構成の「破陣楽」という武舞があり「有唐一代、国家の大典に方つて常に演ぜられた」という。「方つて」は「あたって」か。有唐一代すなわち唐王朝(618-907)を通して催されたと。
 時代が下ると「舞者百八十人、画雲五色(の衣)を」着て踊るだの、「数百人から成る舞踊隊の活躍するものが現はれて来」たりする。
 で、字舞・図舞の名のとおり、これが舞いながら集団で字や図を象(かたど)るらしい。いわく
「その一番手近な実例は則天武后が作られた「聖寿舞」といふものでありますが「百四十人を用ふ。金銅の冠・五色の画衣にて之を舞ひ」「聖・超・千・古」「道・泰・百・王」「皇・帝・万・年」「寳・祚・彌・昌」の字を示したという。

 同じ則天武后が「長寿二年(六九三)の正月に洛陽の万象神宮で自作の「神宮大楽舞」を演出させた時などは「九百人を用ふ」」と記録にあるとか。…いや、すみませんね。文章が気持ちいいので、つい長々と引用してしまう。

 図舞は字のかわりに図を作るモノ、分かりやすい。
 さらにこれらの群舞では衣装の「引き抜き」が行なわれたとか。日本の歌舞伎やデヴィッド・ボウイが山本寛斎の衣装で演じたモノの源流ですね。昨年の紅白歌合戦でAKB48も衣装の早替わりを披露してなかったっけか。

 でも、それ以上に妄想たくましくさせられたのは「皇帝の前で式典のさいに演じられるマスゲーム」という側面。皇帝に「世襲制」の、と加えると、さらにあからさまか。
 Wikipediaで「マスゲーム」の項目を見ると
「ルーマニアのチャウシェスク政権やティトーのユーゴスラヴィアといった社会主義国によって行われていたものが北朝鮮におけるマスゲームの先駆とされる。
  欧米の農業祭などでの行事として、馬に乗って行われるものもある。ルールに従って馬を操り、統制の取れた動きを演じる。スペインのセビリア祭のものが有名」
とあり、洋の東西を問わず行なわれてきた行事のようだが、どうなのだろう。
 昔より中国と国境を接し、多大な文化的影響を被ってきたであろう、かの地域で行なわれるマスゲームは、ヨーロッパの社会主義政権の影響よりも存外、古来の中華皇帝的な記憶の甦りでありはしないのか。

 「唐代風俗史抄」は題名のとおり唐しか扱っておらず(これらの群舞の原型が隋の時代にはあったことが示唆されてはいる)、字舞・図舞がその後、存続したのか消滅したのかも、この文章からは伺えない。丸谷才一先生あたりなら、きっと有用な文献を揃え、さらに何かしら気の利いたオチでもつけただろうけど、力不足で申し訳ない。
 ちなみに「唐代風俗史抄」では、石田先生は日本の野球場の「スタンドに応援団長の合図一下、少しくざわめきが起るかと見る間に忽ち白くK字を描きW字を現はす」姿のハシリが、こうした唐代の花舞なのだとオチをつけていらっしゃる。執筆年代を考えるに、この「K字W字」って、慶応と早稲田でしょうかね。

最大の「if」(12.03.04)

 歴史に「if」はない、という言葉は今ではほぼ「と先人は言っているが、そんなことはない、歴史にifはあるのだ」という文脈で使われているように思う。もしナポレオンが現れていなかったら、もし織田信長が、坂本龍馬が暗殺されていなかったら。

 日本史で最大のifは何か。そりゃあもちろん「もし白村江で負けてなかったら」などと、遡ればキリはないけれど、
 少なくとも2012年に生きる日本人にもっとも切実なifは、やはり「あの戦争にifはなかったのか」になるのではないか。「福島第一原発をもう少し安全にできなかったのか」も、その次くらいに切実ですが。
 山本五十六が構想していたという「緒戦で叩いて早期講和」は不可能だったのか。南進せず中国やソ連を相手にしていれば、アメリカとの戦争は避けられたのではないか。そもそも中国と事をかまえ、世界的な非難を浴びてまで、満州国を作る必要はあったのか。
 事これに限っては、歴史にifはなかった、という考えもあるでしょう。農村が困窮した日本は、どのみち大陸に「進出」せざるを得ず、アメリカとの最終戦争は避けられなかった。そもそも19世紀の開国から、世界の覇権争いと植民地争奪に巻き込まれた日本に他の道はなかった。など、など、など。

 遅ればせながら加藤陽子それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)を読了。タイトルから、とにかく戦争は悪いことです戦争という字も見たくありません的な本と誤解して、遠ざける人もいるかも知れないけれど、そんな了見の狭い本ではない。
 ようやく解禁・解読された過去の書簡や、軍が作成したマニュアル、などなど最新発掘の史料を駆使して、日清戦争から太平洋戦争に至る日本と世界の行動をイチから洗い直す、いわゆる「ビスの精度があがった」興味ぶかくも、おそろしい一冊。その具体的な内容には、ここでは敢えて触れないけれど、上に(てきとうに)あげた、さまざまなifに、かなり有用な手がかりを与えてくれる。と思う。

 これは私見だけれど、戦争はいけなくない、むしろ戦争反対こそ現実を見ない欺瞞だという声は、とくにこの一年で高まったように思える。おそらく、若い世代の自治体の首長が、そうした保守寄りの政策や発言を打ち出しているのが目立つためだろう。
 彼らは同時に、経済や文化など他の側面では、旧弊を打破し合理化を進めよと強く主張している。政治運営の手法としての革新と、政治目標としての愛国・保守が融合しているのだ。なんだか新しい、新世代の保守という感じがする。
 もっとも、それは別段に新しい事態ではないのかも知れない。全国紙のなかで最も保守的と思われる産經新聞は僕が子供の頃、どこかの市役所の豪壮な庁舎を映し出し「こんな立派な建物が必要でしょうか?」と訴え「借金・増税はゴメンだ/行革を推進するサンケイ新聞」というテレビコマーシャルをバンバン打っていた。愛国保守が、すでに有している現状の保全でなく、失なわれた理想状態の奪回の形を取るならば、その内政策が現状否定と革新になるのは、さほど不思議なことではない。

 とまれ、憲法9条の破棄と再軍備を求める声は高まっている、ように見える。その正当不当以前に、いちおう昭和の終わりと平成の二世をまたいで見てきた者の観察として、25年前には戦争反対に反対する者が異端であり公には非難される側であったのに対し、今はすでに戦争反対や平和を訴える者が異端であり(現実を見ないと)非難されるよう、形勢が逆転したように思われる。
 これについて、深くつっこむ余裕は、今はない。
 意地悪い観察として、アメリカは9.11テロの二年後に(何の咎もなかった)イラクに宣戦布告し、日本ではかつて関東大震災の二年後に治安維持法が成立した、と昨年の今ごろ・震災の直後に述べた憶えがある。震災から一年、その是非以前に現象として、確実に、順調に(という言い方も意地が悪いか)この国の空気は排外的な方向に推移しているように見える。
※余談ながら『日本人は「戦争」を選んだ』では、第一次世界大戦の惨禍に直接は触れなかった日本人が「総力戦とはこういうことかも知れない」とリアルに恐怖したのは、関東大震災の惨状を見てではなかったか、という分析がなされています。

 かつて戦争しかないという時代があり、それに懲り懲りして戦争は絶対ダメだという時代があり、今また戦争反対こそダメだという機運が盛り上がっている。戦争はダメだという人は、この現実を冷徹に見なければならないと思うし、
 逆に戦争反対こそ「オワコン(終わったコンテンツ)」だというひとは、かつて日本が戦争に踏み切り大失敗をした事実から目を逸らしてはならないと思う。
 いや、あれは正当性のある戦争だった、あれはアジアの解放であって大陸の人々も感謝している、ではない。最終的に日本はコテンパンに負けたのだ。
 なぜ負けたか。負ける前に引き返す方法はなかったのか。
 この国を再び戦争できる国家にしたいと思うひとほど、かつてこの国がどう失敗したか、徹底的に追究してもらわないと困る。負ける可能性、ましてや、かつて負けたという事実に目をつぶる者が、ふたたび軍備を持った日本で主導権を握るとしたら、これ以上に(善悪以前に)拙劣で見てられない話はない。

 要するに2012年3月現在、僕は、自分が間違ってる・否定される・負ける可能性に目をつぶる絶対的な正義の主張にうんざりしている、のかも知れない。
 『日本人は「戦争」を選んだ』では、戦前の日本とにかく間違ってた論者が苦い顔をする、場面場面においては日本けっこうイケてたという証左も挙がる。
 逆に戦前の日本は間違ってなかった、あれ以外に道はなかった論者が足元をすくわれるような新説・新事実も繰り出される。
 自分という個人の歴史においては「自分は間違ってるかも知れない」というのが最大のifだ。そのifに立ち向かう蛮勇、自分の正しさに安住するより新しさに驚きたい好奇心のあるひとには、政治的左右を問わず、一読する価値のある本だと思います。
 以上なるたけバランスを考え記したつもりですが、個人的な偏向は避けがたくあると思うので、その点については御寛恕されたし。

空爆というフィクション〜荒井信一『空爆の歴史〜終わらない大量虐殺』(12.03.19〜21)

 【1/3】
 (これは前にも書いたのだけれど)イギリスの物理学者フリーマン・ダイソン、アメリカの経済学者ジョン・K・ガルブレイスには、とある意外な共通点がある。
 といって今回もまた、タイトルでバレバレなのだが(何が「とある意外な」だ)。第二次世界大戦においてダイソンは爆撃機の安全向上に関わる技術顧問としてイギリス空軍に協力、ガルブレイスは連合国の戦略爆撃調査団に従事し、その結果として両者とも「戦略爆撃という概念は無効であった」と証言しているのだ。
 ダイソンはその魅力的な自伝『宇宙をかき乱すべきか』(講談社学術文庫)で、ガルブレイスはスタッズ・ターケルによる浩瀚なインタビュー集『「よい」戦争』(晶文社)で、それぞれ述べている。ドレスデンで、東京で、爆撃によって都市は壊滅的な打撃を受け、非戦闘員である住民が殺戮された。だが、それによって戦争は早く終結したかといえば、否なのだと。

 空爆で戦争に勝利することは出来ない。という命題を僕が初めて知ったのは、湾岸戦争をめぐる論議でだった。当時アメリカ合衆国の大統領だったジョージ・W・ブッシュ(シニア)は、実際にはバグダッドの地面を兵士の足が実地に踏んで占領することにこだわったという。それはベトナム戦争で北爆と呼ばれる絨毯爆撃を繰り返しながら、ついにベトコンに勝利できなかった・敗北したことが、克服すべき傷として残り続けていたからだというのだ。
 ベトナムの事例は、爆撃をした側が敗退したので、その無効性は分かりやすい。だが、連合国側が最終的に勝利した第二次世界大戦を見てなお、相手国の都市を攻撃し銃後の非戦闘員を大量殺戮して国力を削ぐ、いわゆる戦略爆撃が無効とは、どういうことか。

 そんなわけで。
 3月10日が東京大空襲の日にあたった縁もあり、荒井信一『空爆の歴史〜終わらない大量虐殺』(岩波新書、2008年)を手に取った。今まで漠然と抱いていた疑問に、真正面から応える一冊。そして同書はやはり述べていた。(僕の言葉で言い直せば)戦略爆撃は、フィクションであると。
 まず同書が強調するのは、ふたつの世界大戦の陰で忘れられがちな植民地戦争〜列強が植民地を得るために当時のいわゆる後進国を攻撃したり、得られた植民地での叛乱を制圧するための軍事行動が爆撃技術の戦略的・戦術的な実践と実験の場=踏み台になって、それが重慶や東京、ドレスデン、広島や長崎に結実したということだ。空爆の歴史は、宗主国・列強による植民地の制圧という、不均衡でアンフェアな武力行使と足並みを揃えた、いわばその申し子であった。
 具体的には1911年、当時のトルコ領リビアに攻めこんだイタリア軍が、九機の飛行機と二機の飛行船を派遣・86回の出撃で総計330発の手榴弾・爆弾を投下した史実を、著者は空爆の嚆矢とする。1914年には日英同盟を理由にドイツに宣戦布告した日本軍も、当時ドイツ領だった青島に爆弾を投下している。
 そしてこの青島爆撃について、著者はこう述べる。
「日本の飛行機が使用した爆弾は、砲弾を転用したものであって、要塞の堅固な堡塁には歯がたたず、そこで日本軍の空爆は後方の市街地に向けられた。「後方かく乱」を名目に行われた無差別爆撃である」
 技術上の困難から、より容易い非武装住民への爆撃に流れる歴史が、すでにここで始まっていた。つづきます。
      *     *     *

※ターケルの書名になっているカギカッコつきの「よい戦争」は、アメリカ人にとって第二次世界大戦をさす言葉(それ以後の特にベトナムに代表される「悪い戦争」との対比か)。日本人を含む130人へのインタビューからなる大著にして名著。個人的には、イタリアに上陸した連合軍が置き去りにされた子供たちばかりのコミュニティに遭遇し、必要なものはないかと子供代表に尋ねると「教科書です。勉強できません」と答えたエピソードが胸を打つ。

 【2/3】
 荒井信一『空爆の歴史〜終わらない大量虐殺』(岩波新書、2008年)のつづきです。
 同書をもとに、第一次世界大戦後〜第二次世界大戦に至る時代の爆撃観を見ると
・人道的な見地からも、爆撃の対象はあくまで敵国の基地や軍需工場であるべきで、非戦闘員である住民を巻き添えにしたり、まして直接の軍事目標でない都市や居住区への爆撃は許されない、という選択爆撃論・精密爆撃論の思想が一方にはあった。
・だが、中間に「そうは言っても、近隣への被害は技術的に避けようがない」というエクスキューズを挟んで
・むしろ積極的に、都市への食料供給や水道といったライフラインを破壊・遮断し、さらに住民を大量殺戮することで、敵国の軍需生産力を削ぐとともに、住民が厭戦から自らの政府を倒すに至ることに期待する無差別爆撃肯定論も提唱され、結果的にはこちらが空爆の歴史をリードしていった。そう見て取れる。

 だが、無差別爆撃肯定論が説く効果は少なくともすべての場では当てはまるとは限らない、むしろ多くの場で当てはまらないフィクション、ファンタジイであった。著者は例証する。日本軍が爆撃した重慶でも、ドイツ軍が爆撃したロンドンでも、爆撃により市民が敵国への屈服を叫び、自政府を打倒することはなかったと。
 むしろ空爆は攻撃者への怒りや反発を呼び起こし、攻撃された側の国民の頑強な抵抗を招いてきたのではないか。

 連合軍による枢軸国側への空爆も同様。日本を例に取ると、(先に引いたとおりガルブレイスも参加していた)連合国の戦略爆撃調査団は「日本敗北の主要な要因は、本土に対する戦略爆撃ではなく、連合軍の水上艇や潜水艦が海上輸送を破壊したことにより石油・ボーキサイト・鉄その他の原料供給が断たれたことにある」という結論で一致したという。
 原子爆弾についても、ポツダム宣言受諾を日本政府に急がせたのは、むしろソ連の参戦と、それにともなう敗戦後の共産革命・日本の赤化と国体破壊へのおそれであったと、当時の枢密院の議事録や昭和天皇への奏上などをもとに著者は指摘している。具体的には、
空襲に対し充分の成績を挙げえざりしも(挙げられなかったが)
 今後は方法を改めたるゆえ戦果を期待しうべし(期待できます)」としたうえで
「空襲のために敵に屈服せざるべからざることなし」
という超絶わかりにくい発言が引用されていますが
※「屈服せざる(屈服を否定→屈服しない)
  べからざる(屈服しないを否定→屈服しましょうよ)
  ことなし(屈服しましょうを否定→屈服しない)」
=「空襲のために敵に屈服することはない」ということですね。むろん強がりや「負けです」と言えない空気もあったろうけど(というか「空襲には屈服しない…とは言えない…というわけではない」って、要するに「言質とられたくない」ってことにも思える)
やはりソ連参戦の衝撃に比べると、空襲の脅威は二の次という印象がある。

 それではなぜ、広島や長崎は、東京は、ドレスデンやハンブルクは、重慶やロンドンやゲルニカは空襲されなければならなかったか。つづきます。

【3/3】
 朝鮮戦争では平壌への爆撃がある程度、戦局を左右したが、それをむしろ少数派の例外として、戦略爆撃は攻撃された側を精神的に屈服させる役にも、生産力を決定的に奪い戦争の継続を不可能にする役にも立たなかった。
 それではなぜ、無差別な空爆は続くのか。

 著者の論点を入れつつ、以下は多分に僕の主観が入っている可能性が高いので眉にツバをつけてほしいのですが、まず僕の言葉で簡単にまとめるとこうなる:「戦略爆撃・空爆は攻撃者側の国内世論に訴え、戦争遂行や軍部に対する支持を取りつける効果をもたらす」

 空爆が支持される理由はふたつ。ひとつは、安全な空からの攻撃のため、自国の兵士に戦闘による負傷や死亡の危険が著しく低い(と、アピールできる)こと。そしてひとつは、たとえ戦略的に有効でなくても、敵の都市を瓦礫と灰燼に帰し、その住民を大量な死者という「数」に変えることは、国民の復讐心や攻撃欲・処罰欲を満足させるということだ。
 前にも言ったかも知れないが、もう一度言う。ジョージ・オーウェルが小説『一九八四年』で「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」と皮肉な暴露をしたように、一面「外交とは内政である」そう僕は思っている。外交政策、とくに経済制裁などの敵対的な外交政策は、それが相手国にもたらす具体的な効力よりも「こんな風に、吾々を不快にする国をやっつけていますよ」とアピールして自国民や有権者を満足させる効力のほうが高いのではないか。そして、近代戦争論が「戦争とは外交の延長である」という定義から始まるように、戦争における空爆も(内向けのアピールという意味で)例外ではない。
 すでに『空爆の歴史』から離陸して(大丈夫、後で着地する)さらに話をぶっ飛ばします。
 先日、吉本隆明氏の訃報が伝わり、氏の講演の抜粋を収めたCDを聴き直していたら、シモーヌ・ヴェイユがこんなことを言っている、という話があった。いわく、戦争の本質とは何か。それは国家と国家の間の抗争ということ、ではない。それは国家つまり大衆を管理する者が(相手国に云々という以前に)自国の国民に他所の国まで行って人を殺させ、あるいは戦死させる、それほど極端に国民を使役する。それが吾々の考えなければいけない戦争の本質なのだと。

 『空爆の歴史』(ね、着地した)によればB29爆撃機は1939年に構想され実戦配備は1944年。5年の歳月をかけ開発費は30億ドルを上回ったという。並行して進められた原子爆弾の開発費は20億ドル。この50億ドルは「specutacular(スペキュタキュラー=スペクタクルな=劇的な、見せ物になる)」成功で報われねばならなかった。
 よかれあしかれ、一度生まれた組織は自己保存のために働く。なにかを成し遂げる手段だったものが、自己目的化して自走する。
 すでに見たように、空爆の歴史はその当初から、敵の軍事施設を攻撃するのが最も合理的だろうに(軍事施設は当然十分な防御を有するがゆえ)それが技術的に困難なため、よりたやすく・かつ敵国民の大量殺傷という見た目の効果を挙げやすい市街への無差別爆撃に走るという、すりかえを有していた。超高性能ミサイルによるピンポイント攻撃を標榜しながら、並行して対人殺傷を目的としたクラスター爆弾がばらまかれる欺瞞は、現代に至っても変わらない。

 敵をやっつけ後悔させたいという処罰欲・復讐心と、
 技術的な困難を克服しての最も合理的な行動よりも、たやすさと見た目の花々しさを選ぶ怠惰、
 そして手段の自己目的化。
三位一体のこの誘惑をしりぞけられるほど、今の吾々はかしこくなっただろうか。僕は悲観的だ。だからせめて、今くらい誰も将来が見通せず、不安で誰かにすがりたい状態で、(ヴェイユ言うところの)国家の管理者に、国民に死を強いれるほどの究極の権力をもたせるバクチは避けたほうがよいと思う。

 よいニュースもないではない(あらざるとは言うべきにあらず?)。
 2008年、日本政府はクラスター爆弾禁止条約に同意し、『空爆の歴史』が刊行された4ヶ月後、自衛隊が保有する全クラスター弾の廃棄を決定している。こうして少しずつ、いろんな種類の爆弾が解体されていくことにしか、今後の希望はないと思う。迂遠でも。
 とくに終盤が突飛かつ駆け足で、いつもながらまとまりのない文章になりましたが、ご清聴ありがとうございました。(この項おわり)
      *     *     *

この日記をサルベージする三日前、イスラム国への示威として米軍がシリアへの空爆に踏み切った。
関係ないがモントリオールのロックバンド・GY!TBの「Yanque UXO」はヤンキー=合衆国の中東へのUXO(クラスター爆弾)投下を激しく糾弾する大作。(2014.9.25)

(c)舞村そうじ/RIMLAND ←1207  1202→  記事一覧  ホーム