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入門の本懐〜今村仁司『マルクス入門』(22.11.03)

 急逝した宮沢章夫氏については全然よい読者ではなかったし、まして観客では全くなかったので(もともと劇作家と知らなかったくらい)語る資格ゼロなのですが、拝読した数少ない著作のなかで『資本論も読む』面白かったなあと思い出してます。いや、書影を出そうにも今にわかに掘り出せないのですが、とにかく分からない・分からないぞリンネルを四エレって何だの畳み掛けに「そうだ何を読んだっていいんだ、敷居が高いとか分からないかもとか尻込みしなくていいんだ(挑む資格だけはあるんだ)」と勇気をもらって、今・具体的には今年に入って『失われた時を求めて』に挑んだりしているかも知れません…
 ※『失われた時を求めて』は今「ソドムとゴモラ」。けっこう楽しく読めてます(中間報告)。

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 名古屋にシマウマ書房という古書店があって、品揃えも好い感じ・買った本をいかにも本屋という無地の茶色の紙袋に入れてくれるんですが留めるテープが黒白のシマウマ模様というステキなお店。
 そこで夏に(京都の帰りに)買った本の一冊が今村仁司マルクス入門』(ちくま新書)。こちらはちゃんと分かってるひとが書いた本、という言い方もアレですが(宮沢章夫さんだって悪いわけではない)
 今村仁司先生、80年代にフランスなどの現代(当時)思想を日本に精力的に紹介した人として世間的に知られているようだ。自分も高校生だったか大学生だったか講談社現代新書『現代思想のキーワード』を読んで、しかしなぜか中里介山大菩薩峠』の話が延々つづいたりして、不思議な本でしたね、あれは…
 国外の学説の紹介者としてだけでなく、御自身も「第三項排除」などの理論を提唱されてて、当時の自分には難しかったのだけど「AとBが交渉するとき、実はAB間の直接交渉でなく第三者Cを介しつつ排除することでAB間の関係が成り立っている」というコンセプトには、影響されるところ大だったと思います。
 これは今村先生あんまり関係ないけど恋愛まんがでAさんとBさんがくっつくのに、なぜか排除されるCさん割り込まされがちで、このいわば当て馬にされるCさんへの共感から始まる物語のほうに関心ある作家人生でした…(吉野朔実さんのまんがとかそういう傾向でしょ)
 
 2007年に逝去されてて、『マルクス入門』は2005年刊。最晩年の著作で、別に思想的遺言というわけでもないのだろうけど「これはもっと早く読んでおきたかった」と思わされる本でした。書名こそマルクスだけど「今村仁司入門」かも知れないし、広い意味で「思想入門」「哲学入門」「人文学入門」かも知れないと思ったのだ。
 説明します。
 2022年現在=資本主義の脅威にどう抗するかが吾々に差し迫った問題な今、逆にマルクス的なものへの切望度は高い気がするけれど、2005年は冷戦終了・ソ連崩壊・「歴史の終わり」で今さらマルクス?な雰囲気が強かったのだろう。本書は守勢にまわったマルクス的なものの巻き返しを丁寧に図っていく。その丁寧さがいいんです。
 まず、なまじソ連などが国家として成功したために(のちに没落するわけですが)国家運営・世界戦略の手法として公認されたマルクス「主義」は斥けられます。大前提。
 そのうえでマルクス本人の思想の受容のされかたが(自分の乏しい語彙で雑にまとめると)経済学としてのマルクス・文化思想まで含めた哲学としてのマルクス・そして20世紀後半の「現代」思想にも通じる構造としてのマルクス、と三分される。
 話は飛ぶけど宇宙物理学。宮沢章夫氏が「リンネルを四エレ」に悶絶したように、理科数学が苦手でアインシュタインの相対性理論を理解するのに「あの憎たらしい列車とエレベーターを何とかしてくれ」と思ったひとは多いのではないでしょうか。それがもっと先に進んだトピック=量子力学やブラックホールの蒸発(ホーキング)・超ひも理論(グリーン)・マルチバースやランドスケープ宇宙論(サスキンド)などの本にあたるたび「これは本論の土台になるので改めて説明しておくと…」みたいな感じで毎回毎回、少しずつ視点を変えてアインシュタインについて説明してくれるので、だんだんなんとなく解像度が高くなっていく。
 それと同じで「じゃあ私が考えるマルクスってどうか…の前に基本を説明しますね」で、マルクス「研究」の歴史が冒頭コンパクトにまとめられている。革命家っぽい人だったのかなとボンヤリ認識していたローザ・ルクセンブルクが後のルカーチやベンヤミン・フランクフルト学派などの系譜につらなる実はキーパーソンなのだと知ったり。ふだん手当たりしだい興味の向くまま本を拾い読みしがちで、系統的な読み方をしない自分などには、この見取り図が得られるだけで大きい。

 そして過去の学説を紹介していく今村先生の口吻が良い。そもそもなぜ昔の学説・思想を読むのか。読むに値するのかがじっくり説かれる。
 自分は「現代」思想ブームを片鱗しか知らないけれど、Aは古くて害悪ばかりだと否定するBは新しく出てきたCに批判され…となるとAやBひょっとするとCすら読む価値はなくて最新のDを押さえなきゃみたいな気持ちにさせられたのを憶えている(僕だけの早とちりかも知れませんが…)。そうではない、過去の思想や学説には今でも十二分に生きてるものがあるし、批判され過去のものとされた解釈にすら拾えるところ・読む価値はあるのだよと著者は説く。実はこれ、多くの「思想」にかぶれた人が「もっと早くそれを知っていれば・誰かにそう言ってもらえていたら」と思うところではなかろうか。
 本は過去の著作との対話として書かれ、それらを読むこともまた対話なのだ。晩年の今村先生はそう説いているかのようだ。
 じっさい逆の話。たとえば僕はシモーヌ・ヴェイユが『自由と社会的抑圧』でマルクス「主義」を批判し、いくら経済上の決定権や生産手段を労働者階級が奪取しようと機械的分業というものがあって自身が何のために働いてるか分断されて分からない以上、抑圧はなくならないではないかと説いてることに強い感銘と衝撃を受けたのだけど(ヴェイユは無理筋でも現場に人間性の奪回を求め病身で工場労働に身を投じて己を摩耗させてゆく)それを意識してか知らずか、今村氏は初期のマルクスが分業そのものをも批判していたことを指摘する。
 また少し前の日記でドゥルーズ=ガタリ(を深く読み込んだガシェ)が「哲学は世界の真理を神や超越といったものなしに・世界のなかの人知だけで究明する学問で、その理想に最も肉薄したのがスピノザだった」と感動的な口調で語っていると知ったわけですが、今村氏が紹介するマルクスはやはり神なしに世界を解明する無神論の哲学を志している。※そのうえでマルクスは逆に哲学は「知」を超えて実践的な「智」にならなければいけないと説いてるのが興味ぶかい…
 …まあ、こういう再発見に引っ張られると、今度は逆に「マルクスを押さえてればヴェイユやドゥルーズ=ガタリは要らないのでは」と疑ってしまいそうですが(笑)
 
 今村先生の第三項排除論(『暴力のオントロギー』など)はルネ・ジラールの羨望をめぐる考察と近いところがあるのだけど、先生は意外にジラールに冷淡というかあまり積極的に紹介・依拠してないよなあと前々から薄ぼんやり思っていたのだけど、それは今村氏の思考はマルクスやヘーゲルとの対話に由来していて、ジラールがいなくても成立してたよという処から来てたのかなあと今はなんとなく分かる気がする。
 自分はやっぱり「リンネルを四エレ…分からん!」に共感してしまうタイプなので『資本論』そのものに挑む余力はないけれど(ずっと短めの単著などは適度に読んでます)今村氏の著作は古書店で見かけるたび比較的よく落手してるので、残りの読書人生で今後もゆっくりつきあっていこうと思います。

地図にない街〜おとな遠足・船橋〜幕張(その1)(22.11.05)

 いちど幕張に行ってみたいと思っていた。
 目当てはlighthouse(ライトハウス)という名の書店。店主のかたがTwitterなどで発信をしていて、とくに差別に反対する・ヘイト書籍は置かないという旨の宣言をしていて、せっかくならそういう本屋で本を買ってみたいと思ったのだ。
本屋lighthouse(外部リンクが開きます)
 ※ちなみにヘイト書籍を置かない本屋は皆無なわけではない。大きめのチェーンでは「くまざわ書店」がヘイト書籍専門の出版社に「あそこはうちの本を置こうとしない、けしからん奴だ、あんな奴ら相手にしないでくれ」みたいに批判されたことで、逆に「ヘイト書籍を置かない店」として名を上げたことで知られている。僕も以来じつは好んで利用している。
 とはいうものの、くまざわ書店も『反日種族主義』 は置いていた…韓国内で書かれた本ということでフィルターをパスしたのだと思うけど、うにょろーんという気はしてなくもない…基本、学術関連に手厚い本屋はどこも応援してます。
 しかし当方ヨコハマ在住。先日まで東京まで通勤していた身でも、なお幕張は遠い。電車代だけでも、ちょっとした遠出だった。

 ところがちょっとした抜け道があることに思い当たった。
 横浜から渋谷に向かう東急東横線に、東京メトロパスという一日乗り放題きっぷがあるのだ。東横線の地元の駅で乗車し、中目黒か渋谷で東京メトロに乗り換えたら、あとは一日乗り放題。帰ってきて東横線の駅で一度でも下車すると使用できなくなる。
 ・東急線・東京メトロパスの案内(外部リンクが開きます)
 横浜駅からだと料金は930円。渋谷・中目黒までの往復運賃は544円だから、要は386円で東京メトロ乗り放題。そして東京メトロは東京と言いながら、東は西船橋まで延びている(東か西か分かりにくい文章だ)。
 もちろん西船橋は幕張ではない。だが、スマートフォンの地図アプリによれば歩けば約11km・2時間半の距離だ。「少なくとも往路は、歩けない距離ではないな?」
 ふつうはこうは考えない。単にケチなだけでなく、小銭をケチるためなら大損してもかまわない馬鹿者の発想だ。ただまあ、ここにケチるのが大好きで、長く歩くのがわりと苦にならない・実を言うと好きな馬鹿者がいた。
 横浜から西船橋まで電車・そこから幕張まで徒歩の地図
 11月4日(金)。もっと早く出ても良かったのだが、すったもんだで正午。西船橋に降り立った自分がいた。東京メトロ東西線の始発・終着駅であり、京成線とJR線の発着駅でもある。南側の改札を出るとすぐ「平和宣言都市」の立て札。船橋にかぎらず、こうした宣言をしている地方自治体があるのだと思い出した。
 駅ビルは反対にあるため、階段の下り口が車道に直づけな西船橋駅の南口。駅の看板。平和宣言都市の立て札。
 この後、いろいろなものを思い出していくことになる。(いちおう断っておくと、すごいことは起こりません)

地図にない街〜おとな遠足・船橋〜幕張(その2)(22.11.06)

 西船橋から幕張まで。歩いてみようと思った理由のひとつは、迷う余地がほとんどないと思われる一本道だったことだ。
西船橋から幕張まで。地図上はひたすら一直線の10km
要は国道14号線という大きな道をひたすら歩けばいい。曲がらない、迂回しない、迷う余地が極度に少ない。
 実際に歩いてみて分かったのだが、この道、上下方向の起伏もほぼゼロ。行程の全域で車道と歩道は境界ブロックで分離され、大半の部分で歩道は人が難なくすれ違える幅を維持している。
歩道と車道の間にガードレールまではないけど境界ブロック完備、歩道の幅も広く車道もつねに二車線以上
お行儀の悪い話だけど、歩きながら本を読むのに不都合のない環境。地図アプリでサジェストされた2時間半あれば、ちょうど読み途中の本=ショーン・フェイトランスジェンダー問題』(読了したら項をあらためて書きます)をかなり読み進め、あわよくば読了できるのではないか。
 …そんな目論見は出発地について、あっさり霧散した。肘の調子がよろしくない。ここ一ヶ月ほど、ずっと痛めていた右肘が、電子書籍の原稿が終わっても完治していない。要は椅子に座って目の前の机に手を置いている事務作業の位置取り=肘を鋭角にきゅっと曲げた状態が非常によろしくないので、本を手にして読むのがまずいのは明らかだ。
 それに、(あわててつけたしのようだけど)見る景色が終点まで退屈に程遠かった。実をいうと横浜から中目黒で東京メトロ日比谷線に乗り換えたあと茅場町で東西線に乗り換え・この東西線がメトロと言いながらすぐ地表に出て東京と千葉の県境=多摩川を渡っていくところなど電車内の時点から見飽きることがなかった。
 旅程の後半は懸念どおり肘も痛みだし、スマートフォンのバッテリも干上がりかけで仲々ヤバい気持ちになっていくのだが「まあ今日はほんとうに遠足気分に専念するか」出だしは意気揚々なのだった。

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 一直線を西に進むだけ、と言いながらまずは東にちょっと戻って昼ごはん。先に調べてあった「翼」というラーメン屋。日替わりランチが評判というので確認してみると「串カツ2本(キャベツつき)・カニ豆腐・ごはん・ドリンクにデザート(杏仁豆腐)+選べるミニ麺 800円」ドリンクはアイスコーヒー・ミニ麺は野菜たっぷり味噌ラーメンを頼んだのだけど…これは「ミニ」というサイズではないね?「ミドル」という便利な英語があるよね?追加で餃子とか頼んだら危なかったね?
ラーメン翼の外観・ランチセット・ラーメンのアップ
 広々とした店内(金曜の正午にお客さんはまばらで少し心配したけど、むしろ休日に家族連れでにぎわう店なのかも)、さっぱりした接客の店員さん。BGMがテレビのワイドショーで北朝鮮(略称)のミサイルを日本の一大事とばかり囃し立ててる以外は(まあそれはお店の咎ではあるまいよ…)満点の昼食で、いざ再出発。

 最初の1kmは線路沿い
 西船橋駅の南口を出て、最初の1kmは線路沿い。左手に線路・右手に飲食店やベトナム食材店・クリーニング店など見ながら進む。
 最初のうちは何を見ても新鮮だ。それを差し引いてもすごいなと思った不動産屋。雄々しく吠えるライオンのロゴマークにこの街を愛し、この街を創り、住まう人に夢を自分には縁遠い立派な押し出しのビルには大理石(?)の手水場に水を吐くライオンまで居て野次馬的に喜んでいたら
地元の不動産・レオグループの店舗・手水場・ウクライナ避難民支援の貼り紙
戦争のない世界平和を!」「ウクライナから避難された方々をサポートさせて頂いておりますうーん、本気だ。ライオンズクラブを思わせるライオンの本気、まずは敬意を払おう。

 前述のとおり1km歩くと線路から離れる。(安全な範囲だけど)歩道が狭めになり、一戸建ての住宅などが増えてくる。昔からの町工場(「こうじょう」ではなくて「まちこうば」)らしい建物、いや家屋に掲げられた台貫所 20tとはなんぞや?
海神町の町並み。「台貫所 20t」の看板
帰宅して調べたところ、台貫(だいかん)はトラックなど車両の重量を量る大型の秤を言うらしい。別名トラックスケール。トラックのスケールか、分かりやすい。「積載重量○○トンまで」みたいな表示があるけれど、その規定内に収まってるか、検査もあるし検査の前に自発的に量っておきたいというものらしい。20tは「20tまで量れます」ということだろう。船橋ならぬ横浜の業者さんの解説ページがあったので参考までにリンクをば(じもあい、じもあい)
SKG横浜台貫場(外部リンクが開きます)
上記リンクの記事中のコンテナの方は「台切り」してくださいは何だろうとコレも確認したら、トラック本体(トレーラー)と後ろの貨物を積む部分(コンテナ)を切り離せる車は、切り離して量ってねという主旨。貨物のつけかえなどでコンテナを切り離す作業全般を「台切り」と呼ぶらしい。

 …最後までネタバレを取っておこうとも思ったけれど、日記の表題にした「地図にない街」とは、地図アプリで確認できるのは道順がせいぜいで、そこがどんな処か・どんな街や町なのかは実際に歩いてみないと(なかなか)分からないという意味だ。
 もちろん地図読みの巧者みたいなひとは僕が実際に立って「なるほどこんなか」と感心することを図面からでも生き生きと読み取れるのだろう。そういうひとの技能や才能は尊敬と羨望に値する。けれどまあ、そんなマジック・アイを持たない凡人は実際に訪ねた場所で「こんなだったか」と驚くのが楽しい。実はこのあと「…こんなとこなの?」と焦ることになるのだけど、それは別の話。
 名もなき公園のあと・国道14号線に合流。目印になるパチンコ屋の看板。近くに海神念仏堂
 これは本当に地図アプリでは名前の確認できない公園らしき区画を通り過ぎると、ここで初めて国道14号線に合流する。「ずっと国道14号線」というのはスマン、間違いだった。違う道を歩いていたのだ。
 海神町三丁目。近くに法務局との案内板。南には、わりと開けた区画に物流センターの大きな建物が並ぶ。14号線との合流地点、向こうのほうが道幅が広いので帰りも歩くことになったらココで間違う・絶対に広いほうを進んでしまうと目印になりそうなパチンコ屋?の看板をカメラにパチリ。これが後々効いてくることになる。まだ西船橋駅から1.5kmしか歩いていないけど、次回に続きます。

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 今回いわゆる街歩き・町歩きの達人みたいな人たちが注目するスポットなどには全く関心を払えず。海神町にある海神念仏堂というのも好きなひとには「なんでソコをスルー」と思われるかも知れないけれどスルーしました。どんなとこだろうと確認したら、なんと僕が歩いた翌日(2022年11月5日)に訪ねてるかたのYouTube動画が上がってたので、これも御縁でしょう貼っておきますね。

地図にない街〜おとな遠足・船橋〜幕張(その3)(22.11.07)

 いきなり目の前に高層ビルが!
青空にそびえたつ高層ビル…と思ったら不動産店(二階建て)の看板でしたー
あー、そういうのはいいから、いいから。今日の更新で幕張の手前まで行くから。

 前回の日記で国道14号線と合流して間もなく、船着き場?荷揚げ場?のような開けた水場に出る。橋には北米先住民のようなレリーフ。この水は東京湾にほど近い。
水場・レリーフ・近隣の地図
 実はこの少し南に「ららぽーと」がある。今でこそイオンモールにお株を奪われたが1981年開業・日本初の本格的ショッピングモールが、この船橋店だ。子どもの頃から名前は聞いた、なるほど「あれはココか」。いや、真西の船橋競馬場・南のIKEAともども足を運ぶ余力はなかったが。地図だけ見ていた時には立ち寄る可能性も考えていたけれど、思った以上に肘が痛み始めている。先を急ごう。
 …先を急ぐと、前後して現れたのは「あれもココか」いや、「キミ、そういやココの子か!」
ふなっしー直売所。顔出し看板など。
ゆるキャラ界の革命児・ふなっしーの生地(聖地?)というだけではない。そもそも梨。柏生まれの自分は「千葉の梨=松戸」という二十世紀な発想(※発想が昔なことと松戸発祥の「二十世紀梨」をかけている)のままだったけど、船橋も梨の有名な産地なのだった。
大学で教えてた父が教え子のかたに松戸で継いだ実家の梨をいただいたことがあって「すごいね!梨園の御曹司じゃん」と駄洒落た記憶が…←何が面白い(つもり)か分からない人は歌舞伎ファンに訊こう!
 駄洒落の連発にかまけてる間、300メートルも進んでない。先を急ごう。

 そう進んだわけでもないが、さらに700メートルも西進すると習志野市に。道の南側に「ここに進んでいったら(手作りパンの店とかありそうで)ちょっと面白いんだろうな」という通りがあるけど踏み入る余力もなく、ここで遭遇した三度目の「ココか!」は
習志野市の看板・商店街・谷津バラ園の案内板
谷津バラ園?舞村さん(仮名)園芸に興味が?そうではない。この谷津バラ園、これまた日本で初めて(だったと思う)本格的な360度ジェットコースター(コークスクリュー型)を備えた遊園地「谷津遊園」の跡地なのだ。憶えてもないほど幼い頃、自分は家族とともに遊びに行って迷子になったらしい。現地に来て記憶が突如よみがえったりもしないが「そうか、アレがココか」の連続な今回のオトナ遠足。
地図。ららぽーと・谷津バラ園は1kmくらい?
さきほど千葉県の市町村地図の画像に浦安市を加えたのには意味があって、谷津遊園は東京ディズニーランドの開業にあわせて遊園地としての歴史を閉じる。合併吸収の形をとったらしく、日本のディズニーランドの経営会社であるオリエンタルランドが、実は現在の谷津バラ園の所有・運営者であるという。

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 ベトナム食材店の美女ポスター
船橋の洗練されたベトナム美人さん(絵やぞ)。
 西船橋の桃の実歯科の桃に見立てた奥歯と、津田沼の歯科の恐竜看板
奥歯コレクション。奥歯を桃の実に見立てた力技なデザインと、もともと歯医者=奥歯でもなかったんだよなあと再認識させられる津田沼のかわいい恐竜(?)。
 つけ麺・冷やし麺ありますの「冷やし麺」が×で消された「拉麺 阿修羅」と「美味い・安い・ちと遅い」定食いろいろ。お気軽にご来店くださいというお店の看板
冷やし中華はじめましたはあるのに終わりましたってないよね、という古典的な揚げ足取りがあるけれど船橋には「冷し麺おわりました」がある。こっちは習志野か、もう千葉市かなあ美味い・安い・ちと遅いの定食屋も縁があれば入ってみたかったスタイル。

 などと路上観察を楽しみながら、だんだん余裕がなくなってくる。肘が痛い。二の腕も痛いし両肩もガチガチだ。幕張まで4.5kmの標識。果てしなく遠く思える。4km。500メートルってこんな長かったっけか。
幕張スタジアムまで4.5kmの看板・4kmの看板・天然温泉つぎの信号で右折の看板
このあたり、ふたたび一戸建てが目立つ街ならぬ「町」の二車線道である。「天然温泉・次の信号右折」の看板の吸引力よ。だが、風呂に入るには肘と肩に貼ってる湿布を剥がさねばなるまい。それに湯船で気持ちよくなって、再び立ち上がれる気がしない。
 たぶんこの辺が限界だったと思う。他に歩行者がいないのをいいことに、(体調が良ければ本を読んでいただろうが)にわかに両腕を90度に開き、歩きながら肩甲骨はがしのストレッチを始める怪しい男がいた。ついで真横に広げた両腕を「白鳥の湖」の要領で上下に上げ下げする肩こりに効く運動。歩きながら。
 そして(あと4km)(あと一時間)(もう一踏ん張り)と思いながら入ったラストスパート、思いがけない光景が待っていた。次回完結。
 地図。具体的には幕張IC近辺が限界でした

地図にない街〜おとな遠足・船橋〜幕張(その4)(22.11.08)

 西船橋〜幕張まで、地図アプリによれば2時間半のオトナ遠足。まあ実は三時間以上かかったのだが、出発から付かず離れずでルートと併走していたのは地図に黒線で示した鉄道路線だけではない。
京葉道路と模式図
船橋から水景を臨んだとき実は見えていた京葉道路。見えてないけどさらに南の東京湾岸道路。ふたつの有料道路が僕の歩く国道14号線と平行に西に向かっていた。幕張まで残り4km(くらい)、その京葉道路とついに交差する。
 交差地点の拡大図をスマートフォンの地図アプリで見たあたりから予感していたけど、現地について確信。あーこれは無理だ。国道14号を地図どおりまっすぐ進めるのは車だけ、歩行者は無理だー。
8の字型にループする京葉道路の幕張IC。横の迂回路をくぐり、住宅街っぽいところに出る
どうにか歩行者のくぐれる迂回路を見つけ(地図アプリがなければ不安で詰んでた)、くぐった先は開けた住宅街。
 これだよ、この「なんで自分はこんなところにいるのだ」と途方に暮れる気持ちが旅行の醍醐味なんだよ(変態?)と嬉しい気持ちもソコソコに、先を急ぐ。もとの国道14号に戻るのだ。…だが本当に途方に暮れるのはここからだった。

 焼肉屋・ドンキ・ニトリ…どの写真も中央分離帯があって片側車線しか写せない
広い。広い。車線の幅が広い。上りと下りが中央分離帯で区切られて、反対側が見えないくらい広い。
 珈琲店・ドンキ・ニトリ・電気店・ブックオフなどが並ぶ地図。目的の書店はすぐそこ。
チェーンの珈琲店。和食ファーストフード店。紳士服店。ディスカウントストア。家具店。電器店。新古本屋にイトーヨーカドー。たしかに地図で予習していたとおりの店舗が並ぶ。ただ、雑然とした繁華街を想像していたそこが、むしろ繁華街から離れ国道沿いに突然出現する栄えた地区のたぐい・それも広いところでは上下三車線ずつが緑の(草なんかじゃない・樹木の)中央分離帯で区切られた、開けた土地だとは思わなかった。
 地図読みの巧者なら想像できるのかも知れない。けれど人生万事シロウトの自分にとっては、地図にあっても地図にない街。こんなところに、反ヘイトを掲げるインディペンデントの書店などあるのか。

 結論を言うと、もちろんあった。「こんなところに無理、無理」と思う国道14号沿いから一本分・二本分と支線に入ったとたん、大きすぎる網の目が細かくなるように建物と街路のスケールが小さくなり、ふいに現れた人の暮らしが感じられる街のなかの「町」に、本屋lighthouseはあった。
 どんどん人間のスケールに近くなっていく町並み。その一角に本屋lighthouseはあった。
 どんな店を想像していたのか、にわかに思い出せなくなる。思った以上に小さなお店だった。本棚も少なく、高さも身長172センチの僕の顎の高さまでもない。小さな子どもがおしゃべりしながら出入りしていたように、それは小さな子どもや、僕などより背の小さな女性の本好きの人たちなどを威圧しない場所。
 それでいて、本が足りないということはない。コンパクトと呼ぶと効率的にギチギチ詰まった場所をイメージしてしまうけど、そうではなくてコージーな、しかし受け止めようによってはイージーでもない、凝縮された選書ぶりがうかがえる。ジェンダーやフェミニズムに関する書籍が少なくない。北村紗衣さんの本が目にとまる。まんがも多い。
 さあ困った。試されているぞと思っているのはこっちだけだが。実は『トランスジェンダー問題』の邦訳が出版されたとき、せっかくなら志のある書店で買いたいと、同書を以前から推していたように思うこの店で入手することを考えていたのだけれど、我慢できなくて既に今、リュックの中に入っている(くまざわ書店で買った)。
 前に別の(やはりインディペンデント系の小さな)書店で気になっていた、プルーストの読書日記があった。それに多少は刺激されつつ僕も『失われた時を求めて』に挑み始めたので再会したいなと思っていた本だが、小さなZINE(個人出版物)のように勘違いしていたそれは思いのほか分厚く、中身も内容に踏みこんだもので、これは自身の読了後・自分の感想や印象が固まってから読んだほうがいいぞと棚に戻す。
 『手数料と物流の経済全史』という本も気になった。古来から人類の歴史は何もしなくても「手数料」を得られるシステムを構築した国家が覇権を握るプラットフォームの興亡史だったのだという。中抜きという言葉が話題の昨今。自身の関心にも通じるものがある。だがこの時はパラパラとめくって「るんっ」と来ない気がした。もしかしたら自分が求めているのは、そんな世界を覆せと唆す革命の不穏さなのかも知れない。棚に戻すが、気になるのでチェック。
玉木俊明『手数料と物流の経済全史』(東洋経済新報社)(外部リンクが開きます)

 そんな中で手にしたのは
諸橋憲一郎オスとは何で、メスとは何か? 「性スペクトラム」という最前線』(NHK出版)(外部リンクが開きます)
オスとメスとは、別個の生殖器官をもつ別個の性ではなく、虹のスペクトラムのように連続した表現型である―前にこのサイト日記で読みたいと切望したジョアン・ラフガーデンの著書(邦訳がない)にも通じる(2021.03.21の日記))テーマ。とりえあえずこちらで勉強したい。そして日本国内の(『トランスジェンダー問題』はイギリスの本)トランスジェンダー当事者による無料配布のZINE『トランスジェンダーのリアル』を一緒にレジへ。こちらもじっくり読んでいきます。
左「トランスジェンダーのリアル」・右「オスとは何で、メスとは何か?」
 近くのヨーカドー(でかい)に「くまざわ書店」も入ってるようだったので比較もしてみたかったけど、はい限界です。

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 このあと最寄りの京浜幕張駅に行かねば…もう身体が持たん…と思いながら道を180度まちがえて、ずっと先の海浜幕張駅に行きそうになったのは別の話。
 京成幕張駅のそばには青木昆陽を祀った秋葉神社というのがあったけれど、これもスルー、別の話。
 京成幕張駅は駅に向かう中高生・駅から出てくる中高生がそぞろ歩く時間帯で、近くの高校と思しきスカート制服女子と談笑しながら歩くズボン制服女子をひとり二人見かけて(おっ、いいぞいいぞ)と思うなど。台北で見かけて以来、早く日本でも定着すればいいのにと思ってたんですよね女子用ズボン制服。これはトランスジェンダーやスペクトラム関係なしに「女子が女子のまま制服ズボンで不都合あるの?」という問題+ないよね?(今ふうに言うとねえよなあ!←すでにちと古い?)
 
 往路とは逆方向で、京成幕張から西船橋に向かう。途中、津田沼で乗り換える。津田沼駅のホームで久しぶりに見知らぬひとに道(路線)を訊かれたりして、少し徳を積んだりしたのですが(自分も分からず駅員さんに声をかけて頼んだだけなので、本当に少しなのですが)自分は西船橋に向かう路線に乗り換えた後で気がついた。
 その日、何度目かの「あれはココだったのか」。たった今、乗り換えだけして通り過ぎた京成津田沼駅だけど、かつて自分、そこで何度か「コロッケそば」だか「コロッケラーメン」だかを食べてるよな?
 これはもう面倒なので地図でなく模式図で説明しよう。
京成線の路線図
 今回の「おとな遠足」は横浜→東京から千葉県にアプローチして、東京メトロ東西線の終着駅である西船橋から、幕張まで約10kmを歩くものだった。帰路は電車で逆に東へ、京成幕張駅から津田沼駅に行き、そこで西船橋方面の電車に乗り換える。
 ところでこの津田沼から京成幕張に下る路線、さらに進むと千葉市の中心に向かう。そしてこの津田沼は「京」「成」線の名前の由来でもある成田(京成成田)方面に向かう路線の発着点でもある。間抜けなことにスッカリ忘れていたが、この成田から(京成佐倉を経由して)津田沼でブーメランのように引き返し千葉に向かうルートこそ、高校生のころ、京成佐倉までの通学定期を持っていた自分が千葉で二本立て(!)の映画を観たり、中古レコード(レコード!)屋でデヴィッド・ボウイやルー・リードのLP(!!)を漁るのに使っていた鉄路であった。そうそう、画材屋でまんが用のケント紙を買うにも、千葉まで出る必要があった。
 そのころ幕張・幕張本郷という駅を自分は認識していたような、いなかったような、今となっては思い出せない。仮に認識していたとしても、まるで違う風景になってることは間違いないけれど…

 もう限界と思っていた体調も、少しだけ電車の座席に腰を沈めたら、少しだけ回復したらしい。京成幕張から西船橋までは270円だけど船橋から歩けば190円、いくらか浮くな…もう「80円だよ」と分からないくらい疲れ果てていながら、もう日が落ちた船橋で下車。繁華街を南下して国道14号に戻る。
 実は途中で飲んだ痛み止めが効きはじめたのかも知れない。往路に「ここで間違えないように」と写真をとっておいた、分かれ道のパチンコ屋の看板に出会う。そうそう「これはココだった」。右に折れたら、西船橋はそう遠くない。(この項おわり)

死者に代わって歩く〜渋谷・イラン反体制デモ(22.11.19)

 横浜の中華街は業務スーパーも中華系の食品食材がわりと充実していて、先日は麺を買ってきました。パッケージに陽春麺と書いてあるけど、陽春麺は食べ方(シンプルに麺とスープくらい・ラードを効かせる軽食)で、でもまあいいかとニラや玉ねぎ・えのき・にんにく・別のスーパーで値引きだったチャーシューを載せて中くらいの豪華さでいただく。味つけは中華練スープのみ。稲庭うどんを温麺でいただくのと同じような使い方が出来るなと思い、ジェネリック稲庭うどんとして使っていきたい所存です。油葱酥と呼ばれるフライしたネギ(エシャロット)を振りかけると、より中華っぽくなるので(さっと茹でて油で和えた青菜にも合う)次に中華街に行ったら忘れず確保。
陽春麺?と、オレンジの提灯が頭上に並んだ夜の中華街

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 今日は今日とて、久しぶりに渋谷へ。日本在住のイラン出身者が中心になって実施された、イランの強圧的な現政権に抗議するデモに参加してきました。
 髪を隠すため使用するヒジャブのかぶりかたが不適切だと警察に捕まった女性が取調べ中に死亡したことから起きた抗議・反体制運動が本国だけでなく世界的に広がり、その一環として実施されたものです。すでに東京で何度もデモやスタンディングがあり気にかけていたのですが、仕事で東京に通ってる間は多忙などにかまけて参加できず、今後は逆に神奈川に引きこもるため、残された機会と(COVIDを恐れつつ)足を運んだ次第。
デモに出発する人たち
コールは英語や日本語も交じるものの、ほとんどはイランの公用語ペルシャ語(だと思われます)。恥ずかしながら全く分からない。一連の抗議活動のキャッチフレーズになってる女性 命 自由は連呼されてたはずなので、それだけでも予習しておくべきだったと後悔しつつ英語のwomen life freedomと日本語だけ唱和。
ディズニーヒロインのジャスミンが長い髪を切り落としているプラカには「unite against oppression」の文字。叫ぶ女性の髪が握りこぶしになっているプラカには「女性 命 自由」の文字。プラカを掲げる参加者には「赤ちゃんがいます」バッヂをリュックにつけた女性も。
 ディズニーヒロインのジャスミンが怒りの形相で長い髪を切り落としているプラカにはUNITE AGAINST OPPRESSION(抑圧に抗して連帯)」のロゴ。叫ぶ女性の髪がねじれて握り拳と化しているイラストのプラカには女性 命 自由のロゴ。プラカを掲げて歩く参加者には「おなかに赤ちゃんがいます」のバッヂをリュックにつけた女性もいる。
 中には宗教的指導者のハメネイ師を犯罪者と糾弾するプラカ、廃止された王政の支持を示す旧国旗なども見られた。とくに後者などについて僕は深く突っ込んだことは言えない。(しかしデモに向かって「被害の訴えであっても周囲の人々が引くような暴力的な表現は避けるべき」とか言うのもおかしな話ではないでしょうか。あるいは「デモに政治を持ち込むな」とか?デモですよ?)
 一方、女性の人権を最前面に掲げたデモでむしろ数が多い男性も当然のようにプラカを掲げ、コールしていたことも象徴的で(話の流れ上そうなったのだとしても)ある種の男性は見習うべき、今後の社会運動の方向性を示唆するものにも思えました。

 デモに参加する時には自分が訴えたいことを携えて行くことも当然ある。でもそれと同じくらい、他のひとの訴えを知る機会だと思っている。何度も言ってる気がするけれど、最低賃金1500円を求めるデモで、コンビニのネットプリントで出力したような綺麗なプラカが並ぶ(もちろんそれが悪いわけではない)中、ハサミで切ったようなダンボールの無地の面に手書きで野菜を食べたいと書かれてるのを見た気持ちは忘れられない。
「イラン政府に殺害された人々」という写真パネル。陽の光で裏から透けて見えるものも
 今日参加したデモでは抗議の発端となったマフサ・アミニさんだけでなく、今回の抗議運動やそれ以前の迫害・弾圧で亡くなった人たちの写真が単体のプラカで、あるいはイラン政府に殺害された人々というパネルとして多く掲げられていた。
 歩道をゆく人々に向けたパネルが、前を歩くデモ参加者が掲げたプラカが午後の陽光に透けて、亡くなった人たちの顔が裏写りして見える。
 思い出したのは2年前(2020年)の12月に東京・有楽町の駅前で実施された、日本で亡くなった外国人労働者を追悼するスタンディングのことだ。
外国人労働者を追悼するスタンディング。植え込みに並べられたプラカ
 その頃は新橋で働いていて、仕事の帰りに一緒に立つことが出来たので参加したのだけど、私は中国人男性です 仕事は鉄筋施工でした 2017年1月1日頃溺死しました 36歳でした」「私は中国人女性 仕事は婦人子供服製造をしていました。2014年5月11日 自殺しました。33歳でしたといったプラカのうち
植え込みの中のプラカ。「私は中国人男性です 仕事は鉄筋施工でした 2017年1月1日頃溺死しました 36歳でした」「私は中国人女性 仕事は婦人子供服製造をしていました。2014年5月11日 自殺しました。33歳でした」といった文章が日本語・英語・中国語で書かれている
私は中国人男性 仕事はとびでした。2011年8月10日トラックで移動中事故にあい、道路の電柱に当たり、即死でした。36歳でしたと記されたものを任され、両手で胸の前に持ちながら30分ほど立っている間、死者が30分だけ現世に帰ってきて(こんな寒風ふきすさぶ街路に戻ってきたくはないだろうけど)ここに立っている、その代わりに自分が身体を貸して立ってるような気持ちになった。

 言うまでもなく、今日のデモは望ましい明日を獲得するためのものだ。けれど半ば部外者として参加した僕はひとり、これは亡くなった人たちの追悼の行進でもあるのだ、死者たちの代わりに抗議し歩いているのだと思っていた。
デモ終了後の人々
 外国人労働者の労災死や事故死と、イランの反政府運動は関係ないじゃないかといえば、そうでもない。東京で今日のデモや他の日の抗議を動かしてる人たちには、宗教上の理由などでイランに居られなくなり、日本に来た人もいる。そして難民申請が認められず入管に収容されていた人・仮放免になっても生活の保障が得られない人もだ。(そうしたかたの収容中の支援をさせていただいたのが、今回デモに参加した理由のひとつです)
 入管では昨日、また亡くなったかたがいると報じられたばかりだ。
東京入管に収容中のイタリア人男性が死亡(朝日新聞デジタル/2022年11月18日 19時33分)(外部リンクが開きます)
全国の入管施設で2007年以降に死亡した外国人は18人目で、自殺は6人目だという
 
 思えば中華街も、今はまた花やかに賑わっているけど(ただしコロナ禍でどれほど客足が衰えたかは僕には判然としない)最初に中国・武漢で感染が発生した頃には、中華街の昔からやってる食堂にまで脅迫や嫌がらせがあった。
 今日のデモに参加している人たちの中には、青と黄色のウクライナの旗を携えた人もいた。光復香港 時代革命と書かれた垂れ幕(※折りたたみ途中しか見られなかったので先に「光復時代」と誤記。ネットを介して正しい文面が確認できたので訂正しました)を持った中国の若者は、春に同じ渋谷でロシアのウクライナ侵攻に抗議するデモがあったとき見かけたのと同じ留学生だった気が(かなりの確度で)する。
 そろそろ、この国(列島)に日本人として生まれた人たちも、わりと都合よく適用範囲を変えられる「日本人」みたいなものに自分の帰属意識を丸あずけするのでなく、同じ地面の上にいる人たち皆との連帯を考えていったほうがよいのではないだろうか。

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 イーロン・マスクの買収にともなう大量解雇・辞職などで、Twitterが終了(頓死)するのではないかと囁かれ・ざわめかれるようになりました。
 とりあえず自分も利用者ですが(@radio_rimland)(外部リンクが開きます)このとおり自分の発信じたいは本サイトで出来るため、マストドンなど代替SNSへの急いでの移行は(今のところ)考えていません。
 そのかわり、しばらく毎週更新→力尽きて休止→月イチ更新で再開していたサイト日記を、また週ペースに戻そうと思っています。ただし前のように毎週なにかしらのテーマをキチンと書こうとすると折れてしまうので・身辺雑記(生存報告)・何かテーマのあること(本の感想なり何なり)・お知らせで、余裕のないときは雑記のみ等、今度は無理なく行きます。

 Twitterがなくなっても自分自身の発信はできるのだけど、他の誰かの発した言葉や絵や何かを受信するのが格段にむずかしくなるのがネックですね。とくに圧制や差別などに抗して連帯していく手段をどう再編成していくか、各々考えなければと思います。
And love dares you to care for the people on the edge the night and love dares you to change our way of caring about ourselves.
あと、本サイトに組み込んでいたキーワード検索サービス、Flashを使っていたのかな?いつの間にか終了していたので外しました。逆に使えないまま放置していて申しわけなかった。他にも色々、少しずつ直していきます。

大地とホロコースト〜山内志朗『わからないまま考える』(22.11.23)

 ちくま新書『世界哲学史(全8巻)』(外部リンクが開きます)編者のひとり・山内志朗氏の『わからないまま考える』(文藝春秋社・2021年)(外部リンクが開きます)の話。いや、むしろ同書で紹介されている藤原辰史ナチス・ドイツの有機農業〔新装版〕』(柏書房)(未読)(外部リンクが開きます)の話かも知れないのだけど……
 手持ちの山内志朗氏の著作。左から『わからないまま考える』『過去と和解するための哲学』・『世界哲学史』は何冊目まで持ってるか今ちょっと分かりません(おえんがー)
 『わからないまま考える』で著者はドストエフスキーなどに見られる大地への愛を語ったのち、しかし豊穣をもたらす生の場所である大地は(時に人と相容れない)微生物たちの生の場でもあり疫病や地震をもたらす、ヒトにとっては死の場所でもあると説く。古来、地母神は漆黒で生とともに死を司る。それを忘れたときヒトは大地の復讐を受ける…この急展開のテコになっているのが先述した藤原氏の著作が指摘した、エコロジーとナチズムの結びつきだ。
大地は民族意識と結びつく。固有の大地の上にこそ民族意識が熱狂的に育ちうる。
 ナチズムはそれを悪用する。
 化学肥料や農薬を用いた農業は土を汚し、その結果、民族の血を汚し、ひ弱な民族と国家を生み出すことにつながる

自然との共生や有機農業という「優しい」概念が民族の絶滅を推し進めた

(『わからないまま考える』)
 農業大臣リヒャルト・W・ダレエの著書『血と土』―この書名は当時のナチスのスローガンでもあった―は端的に語る。
真の貴族は土塊の中から、郷土を、民族を、更に国家を体験する

 思想―哲学や社会運動だけでなく物語や歌舞音曲にも含まれるメッセージという広い意味での「思想」―が、当初は理想で人を未来に導くかに見えて、途中から禍々しいものに変質することは多々ある(これは山内氏でも藤原氏でもなく僕の所感)。
 デヴィッド・ボウイの「LIFE ON MARS?」というメディアやショービジネスを皮肉った歌にミッキーマウスが牛に育ったという一節がある。もともと牛よりも大きいので「トトロが牛になった」とは言いがたいけれど、スタジオジブリのアニメーションが何か国民的イベントのように巨大化・肥大化していくのは、端から見ると少し不気味な現象でもあった。
 個人的には、数年前の紅白歌合戦で、当時キャリアの集大成的なベストアルバムを発表したばかりだった(と記憶される)松任谷由実がメドレーと称して披露したのが『魔女の宅急便』に使われた「ルージュの伝言」と「やさしさに包まれたなら」だった時「トトロが牛になった」と痛感させられた。いや彼女だったら他ならぬNHK「朝ドラ」の主題歌だってあるでしょうに。
 「思想」の変質は受け取る側の感覚の変化かも知れない。実はずっと前から指摘されていた問題かも知れないが『となりのトトロ』のサツキはヤングケアラーではないか、それを楽しく素敵なことのように吾々は賛美していなかったか、という批判が目に留まるようになった。30年も経てば作品の捉えかただって変わる。かつて心酔していたものに、夢中になれなくなっている自分に気づく。
 僕がジブリの変質=受け手の側で何か巨大なものに変質したかもと感じたのは自分にはちょっと不気味で怖いと思えた「こだま」が「かわいい」と手放しで受容された時だったかも…
 ようやく話を戻すと、馬鹿げた「バルス」祭り(『天空の城ラピュタ』テレビ放映の日、劇中のパズーとシータと一緒に一斉にTwitterで滅びの呪文をツイートしようというイベント)よりも気にかかるのは、技術至上主義者のムスカ大佐にシータが言い放つどんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないという言葉だ。ラピュタのみならず、トトロやナウシカ。宮崎駿の他の諸作品にまで波及する大地への愛が、善のメッセージという形は保ったまま「どうだ善だ、この善にまつろわぬ者は滅べ、バルス!」と禍々しいものに変質することもあるのではないか。
 皮肉なことにそれは、腐海が死と再生の場であり・『もののけ姫』や『千と千尋』の豊穣や再生が暴力や逆に透き通った死と表裏一体だったような(あるいはラピュタやインダストリアの技術偏重が批判される一方で『紅の豚』のような人の手による技術賛歌も謳われたりする)両義性=アンビバレンスが忘れられ、大地への一方的な賛美が牛のように肥大化する「大地祭り」が目論まれたときではないか。

 山内氏がダレエが現在登場し、農業のあり方について熱弁をふるえば、人々は大きな共感を寄せるかも知れないと書いたとき、すでに新型コロナは発生していたが、2022年の国政選挙に前後した参政党の登場(蠢動?躍進?)はギリギリまだなかった。それが今はある。
 大地への(両義性を忘れた)一方的な賛美は技術批判と結びついて新型コロナに対するテクニカルな対策=マスクやワクチンの拒絶に結びつく恐れがある。また大地の賛美が「血と」セットだと気づかなければ逆に不可解にすら見える、エコロジーと排外主義の合体も、不安で不気味だ。
 そういえばボウイの「LIFE ON MARS?」のサビ前のフレーズはこうだった。
It's abaut to be writ again - As I ask you to focus on
何十回も繰り返された陳腐なシナリオをまた書くから、しっかり見ていてほしい―今この一節を引くことは、逆に「ほらほら、またナチスが来るぞ」と不安を煽り、警戒心や敵対心を肥大化させる「ブースト」かも知れないけれど。
 

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 それにしても。エコロジーや有機農業がナチズムに=排外主義とホロコーストに結びついたという指摘で思い出されるのは、前に本サイトの日記で取り上げたミシェル・フーコー社会は防衛しなければならない』の、人に生きることを要請するはずの生政治はレイシズムを介して人を殺すための技術に転化しえたという話だ(2017年8月の日記)。
 広い意味での「思想」がもつポジティブな意味が変化し、禍々しい側面が肥大化し暴走する、その帰結としてホロコーストがあった。ホロコースト以後に詩は可能か(いや、不可能だ)というような逆説も含め、多くの思想や思考・思索が「だからホロコーストが起きてしまったのだ」と問わずにいられないような20世紀の特異点。
 や、ピノチェトの恐怖政治もバレーラとマトゥラーナの『知恵の樹』 という思想書を生んだみたいなんだけど(筑摩書房の紹介ではアジェンデ時代のポジティブな雰囲気で生まれたと逆に書いている…)あとスターリンやポル・ポトの所業がホロコーストほど思想や哲学で問われていない気がするのは「あいつらアカだから」で思考停止しちゃってるせいかも…
 逆にいえばホロコーストの問題が解決しないかぎり20世紀はまだ続いているといえるのかも知れないけれど、それは考えつづけ警戒しつづけなければいけないこと、なのだろうけど、21世紀にはもうひとつ「フェイクトゥルース」に集約される特異点があるように個人的には体感している。
 仮に「フェイクトゥルース」と呼んだけれど、それはドナルド・トランプや西村博之のような特定の人物に帰せられるかも知れないし、何か特別な事件が起きるのかも知れない。「なんで20世紀はあんなことになってしまったんだろう」「あんなことって?」「ホロコーストだよ」というように「なんで21世紀は…」と後に問われる(問う「人間」がいるとして)ときブラックホールの特異点になるのはフェイクトゥルースや歴史否定主義ではないか。(すでに考察・思索は始まっている。ミチコ・カクタニ真実の終わり』を取り上げた2019年9月の日記参照)
 今日のまとめ(1)当初は善として登場したものが時の経過で悪に変質することは多々ある(2)大地への賛美は「血と」土という形で
 排外主義に結びつきナチスに利用された(3)エコロジー+差別は日本でも再演されそうで心配。
 …サイト日記の更新間隔、ちょっと密すぎじゃね?と本人も思っているのですが(本当は週イチのペースを堅持したい)、要点をメモだけするつもりが止まらなくなりました。
 日曜のコミティア(自分は不参加)に合わせて?今月はもう一回更新を予定してます。

るみナスと天羽(22.11.27)

 渋谷でのデモの帰り(先週の日記参照)これでしばらく東京に出る機会もないしと、まずはrenge no gotoku(れんげのごとく)へ。駅前再開発で閉店してしまった名店「亜寿加」の流れをくむ排骨担々麺のお店。もう一本の支流・同店の元店員さんが始めた神保町の「五ノ井」では、つけあわせがザーサイに替わったけれど、渋谷のこちらは高菜を継承。冷やし排骨担々麺1,080円。ごはんは一杯目無料。
renge no gotoku の冷やし排骨担々麺と「蓮華の五徳」のロゴ・蓮の葉と花があしらわれた壁紙
 そのまま中目黒に向かいます。東急東横線で横浜・渋谷間を行き来していた数年、中目黒の駅ホームから見えてて気になっていた(さと)さくら美術館(外部リンクが開きます)に。観覧時間20分を想定したコンパクトな現代日本画の美術館。
 自分が行ったときは「夜」をテーマにした展覧会が開かれていて「なるほど」入ってすぐ分かったのは「夜を描くとは、逆に闇の中の光を描くことなんだな」と。光源はもっぱら月。それも満月。それが桜や伽藍に照り返す。まれに螢。意外なところで沼のガス(?)。ちょっと反則技で「もう明け方」。とりあえず素人としては「月がどこに出てるか」構図の面白味を愉しめば良いので見やすい展示でした。
 そのうえで日本画の画材による細部の美しさ。画集を持ってる中島千波も、実物はまた格別でした。
 ちなみに同じ中目黒にあった歯科の看板、こちらは三日月。近ごろは奥歯をアレンジしたデザインが多い中、かなりの高得点。
郷さくら美術館と、憂いぎみの横顔がついた古典的な三日月のエッジのほうに腰かけ月の口内を診察している女医さんをあしらった歯科の看板
 渋谷から坂を登り、坂を下り、目黒川にあたった処で左折して郷さくら美術館に行くはずが右折してしまい、出会ったのが古本屋cow books(外部リンクが)。これも縁だろうと吉田健一の未読だった文庫を一冊。
 そして中目黒から(祐天寺はスキップして)学芸大学。ここのお目当ては新刊+古書、両方やってるSUNNY BOY BOOKS(外部)。実は未読だったブルース・チャトウィンパタゴニア』の古本と、強い磁力に惹きつけられ高島鈴さんのエッセイを新刊で。ちゃんと読みます。以上、約4km(渋谷→学芸大)の小遠足でした。ありがとう東京。しばらくはお別れ。
左:COW BOOKSの店頭で、店名ロゴ入り包み紙にくるんだ文庫をかざす。右:二店で買った本。左から吉田健一『絵空ごと 百鬼の会』、ブルース・チャトウィン『パタゴニア』、高島鈴『布団の中から蜂起せよ』

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開いた大きな本を寝台がわりに眠るナス。その眼鏡を外し毛布をかけてやる天羽。『読書子』購入御礼絵。
 今日は東京ビッグサイトでコミティア142(外部リンクが)開催だけど、こちらも一般参加は見送り。というか即売会じたい、もう二年もサークル参加を休止しているのですが…
 でも今月はじめに、電書オンリーで新刊が出ています。配信元のBOOK☆WALKERがコミティア合わせで自主出版のセールをやるかなと思ったら、どうも今回はないみたいで少し当てが外れつつ、その新刊の話。

 読書子に寄す pt.1(外部リンクが開きます)。タイトルどおり、読書をテーマにした連作+α。
 このαに該当するのがフルカラー24頁の「有楽町で逢いましょう」。年度末で残業中の主人公が、ひょんなことから異星に召喚されたと思ったら異星でも(公転周期72年の)年度末で…というビジネスパーソン哀歌が→その異星に召喚されたと同じ能力のおすそわけをボーナスにもらい、どう使うかというSFから→最終的には高校時代の初恋相手とよりを戻す、わらしべ長者か玉突き事故のような話だったわけです(もう読まれたものとして話を進めます)
 読書がテーマではないのでプラスアルファ、おまけ的な位置づけで収録したけれどコレ、読書と点対称のような位置にある著者・書くという行為にまつわる話なのですね(と後から気づいた)。というのも高校時代、主人公の天羽が恋人「るみナス」に振られたのは、どうやらナスが書いた小説を笑ってしまったせいらしい。2021年3月の現在に高校時代のナスを召喚した天羽が、異星の力で時空を超えて…と説明するのに「また」私のことを馬鹿にしてるのかと怒ってる様子から、彼女の小説はSFっぽい内容かも知れないとも想像できる仕掛けです。まあそこまでフカヨミしてもらえると嬉しい。

(↓↓画像にカーソルを合わせると拡大されます↓↓)
雨上がり、傘を閉じたナス。足元の水たまりに、追いかけてくる天羽が映っている
 この作者(自分ですけど)、作家や創作者を主人公にした話を、けっこう描いてます。近作では、作者が想定したヒロインとくっつきたがらない主人公と言い争うどこの馬の骨とも知れないお姫様のブルース(外部)・大学入学時、漫研に入ろうかスキー部にしようか迷ってる主人公に自作の登場人物が両方の未来を見せる「1991」(カーテンコール e.p.(外)所収)あたり。
 そして創作をテーマにした創作(も含んだ話)視点で考えると、るみナスという名前。
 留美さんとか瑠美さんといった名前が「るみ」→「るみナス」→しまいには本名が脱落して「ナス」と呼ばれていたら面白かろう、くらいに考えていたのだけれど、作家としての自分を否定されて恋人を振った少女、と捉えると想定しなかった寓意が浮かび上がってくる。
 一方の主人公、こちらも深く考えずにつけた名前が天羽(あもう)。
 るみナス(luminous→光)と天羽(amour→愛)。まあamour(仏)の発音はアモウじゃなくてアムールですけど、二人のベクトルの違いが名前になっていて、作者本人が電書も出たあとで驚いてしまった、そういう今回のサイト日記です。
 ルミナスとアムールっていうと『劇場版プリキュア大集合』みたいですけど…
 ナスが天羽を許した、いや天羽の失笑を許したかどうかは分からないけど(ずっと根に持ってネチネチいじめそうな気もする)天羽の存在を許したのは、高校時代の自分が恋人に「自分の小説の理想の理解者」まで求めたのは行き過ぎだったかという気づきがあったのかも知れません。もしかしたら9年の間に何度も失望を繰り返し「理想の理解者」などいない、そんなのは「理想の作品」と同じで追えば追うだけ逃げる逃げ水、ないものねだりなのだと。にも関わらず(まだ高校生だった)天羽にそれをぶつけてしまった、それは自分の側の落ち度で譲歩する余地があると。
 天羽はamourの人だから9年後の今度こそナスの理解者になろうと思っているけど、まあなれればいいけど、なれないかも知れない。でも「それ以外」で互いを肯定し必要としあえるカップルとして、二人は続いていけるのかも知れません。
 
 大体こういうことは話を思いついてから描き終わるまでに一応は考え尽くしていて、描いてる間に考えたことなので「よし、そういった諸々はすべて作中に落とし込んだ」と錯覚できてしまうのですが、今回は本(電書)が出たあとで考えついたので、長い自作語りになってしまいました。
 かように作者自身すら己の描いたものが何だか分かってないのに、誰かに「理想の理解者」を求めてどうなりましょう。光(ルミナス)を強く求めすぎるものは、堕天使(ルシフェル←これも「光」が名前の由来)になってしまうのかも知れません。
 好きなように読んでいただけたらいい(と考えるべし)という思いをあらたにしたのでした。コミティアに読み手として(も)運ばれる(た)かたは楽しまれるとよい。
 作者のコメントとかを、すごい重視して「読み」を引っ張られちゃう人たまにいますけどノンノンよ。作者は自作について100くらい考えてて、たまたま表に出た1や2に過ぎないのですから…

(c)舞村そうじ/RIMLAND ←2212  2210→  記事一覧  ホーム