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人間はつらいよ〜ブランドン・クローネンバーグ『インフィニティ・プール』(24.07.14)

きっと何者にもなれないお前たちに告げる(幾原邦彦『輪るピングドラム』)

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 someoneという英語がある。somebodyのほうが、より口語っぽい表現らしい。中学校の英語の授業では「誰か」と習う。「誰でも」または否定構文で「誰も(いない)」はanybody。「誰もいない」「誰でもない」はnobody。
 私にはsomebody(誰か)が必要です、anybody(誰でも)じゃなくて、someboy to love(私が愛したいと願える特定の誰か)が必要なんです、などと言う。
 逆に誰でもよい場合はDoes anybody have any questions?(誰か質問はありませんか、どんな質問でもいんですよ)となる。
 問題はsomeone・somebodyには「成功した、ひとかどの人物」という意味もあることだ。「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」でジョン・レノンが「今日びsomeoneになるのも楽じゃない(でも、どうにかなるんじゃないの、どのみち僕には関係ないよ)」と歌ったsomeoneは、どちらの意味だろう―かれ自身は成功者になって、でも40歳で射殺されてしまったわけだが。
 あるいは五年後に滅びてしまう世界で立ち尽くしたデヴィッド・ボウイが「すべての太った人たち、やせた人たち、すべての背の高い人たち、低い人たち、すべてのnobodyな人たち、すべてのsomebodyな人たち」と歌ったのは、どちらだろう。そして「僕は自分にこんなに沢山の人々が必要だなんて考えたことはなかった(I'd never thought that I need so many people)」と続く歌詞は「こんなに沢山の人なんて要らないよ」という意味なのか、それとも「と思っていたけれど、そんなことはなかった(みんな愛すべき人たちだ)」どちらの意味に取れば良いのだろう。
David Bowie - Five Years(YouTube/公式/外部リンクが開きます)
 いずれにしても。「誰かである」ためには「成功者」でなければならないとは、ずいぶん残酷な話だ。
 man(人間)という英単語が、同時に「男性」を指す(しか指さない)のも「人間」の酷薄さを物語っている。そして世の中では―少なくとも日本では、成功した人間(男性)を、成功して初めて「男になった」などと言う。やってらんないな、と思う。
 吉野朔実氏の短篇の主人公は小学校の授業参観で「しょうらいのゆめ」を訊かれて目立たない人になりたいですと答え、大いに目立ってしまう(『いたいけな瞳』所収「犬」)。どっと周囲が笑う中、その気持ち分かるぜとページのこちら側の僕は思っていた。誰でもない、ただの人間でいい。でも世の中(の、声が大きな連中のあいだ)では、成功者(someone)でないnobodyは、人間(man)ですらないらしい。たまんないな、もう。

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 ブランドン・クローネンバーグ監督の三作目インフィニティ・プール(シネマ・ジャックアンドベティ/24.7.12まで/外部リンクが開きます)終映ギリギリに地元の映画館で観てきました。
 惹句に(ジャックだけに惹句)唯一無二のクローネンバーグワールドへようこそ!とあるのが、ちょっとおかしい。唯一無二ってクローネンバーグさん、息子のブランドンと父親のデヴィッド・クローネンバーグ、二人いるんですけど。なんだか転送ポッドの事故で一体に融合してしまった父子が、気持ち悪い粘液を垂らしながら呻いている姿が目に浮かんでしまう←クローネンバーグ印と言えば、こんな作風なので、たしかに唯一無二感がえぐい…
 キャプション「今週のまとめ(じゃないけど教訓):洋画のR18指定に濃厚な官能描写を期待してはいけません。体感8割〜9割は、わざわざ見せるほどでもない(逆に隠すのが面倒だっただけかもレベルの)おっさんの全裸です」に、うぐ…と戻しそうになってる「ひつじちゃん」(羊帽をかぶった女の子)のイラストを添えて。
(いや8割9割は盛りすぎかも知れんが)
 …今回の新作を観て、少し考えが変わった。おとんと息子、気持ち悪い(褒め言葉)作風は似ているけれど、無二ではない。
 薬剤の副作用で生まれた超能力者が念力で人の頭を爆発させる『スキャナーズ』。映像に脳も身体も乗っ取られた男が、自分の右手と融合した拳銃で自らの頭を吹き飛ばす『ヴィデオドローム』。自動車事故のスピード感が忘れられず、自傷的な暴走行為を繰り返す『クラッシュ』。おとん=デヴィッド・クローネンバーグの作風はハイテク・バイテク(バイオテクノロジー)との融合で、人間が人間でなくなってしまう惨劇を、しかしどこか祝福のように描いてきた。転送ポッドの事故で蝿と一体化した主人公が恐怖ハエ人間と化す『ザ・フライ』でさえ、これはこれでハッピーエンドなのだと監督自身は語っていたという。ハイテク・ホラーから離れて非SF的なサスペンスに徹した『ヒストリー・オブ・バイオレンス』や『イースタン・プロミス』ですら、ギャング世界を生きる主人公は専ら酷薄な暴力で人間を超えたモンスターと化す(それは「人非人」「人でなし」と言うのではないか)。最新作の『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』まで、おとんデヴィッドの作品には「人間を超えたい・そのためなら怪物になってもいい・むしろ怪物になって早く人間をやめたい」という切望がみなぎっている。
 キャプション「こうして一段落で一気呵成に書くといかにも「夢中になったオタク特有の早口」という感じで好い…」に、苦笑している「ひつじちゃん」の挿し絵。
 息子ブランドンが描こうとするものは、似ているようで異なる。
 バイテクで本来はない無用な臓器を体内に培養し(無用なので)切除する、その手術の実況をパフォーマンスとして「展示」するアーティストを描いた(なんでそんな話を考えつけるんだか)父の『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』に対して、息子ブランドンの長篇デビュー作『アンチヴァイラル』はスターやセレブと同じ病気にかかりたいというファンの願望を叶えるため・いわば究極の「ファンサ」としてセレブの罹患した病原体や腫瘍の膿を盗み取り、自分をシャーレにして培養するエージェント(下働き)を描いていた(なんでそんな話を考えつけるんだか)。時期的には『アンチヴァイラル』が先だったので、ひょっとして父、息子の作品にインスパイアされて最新作を構想したのかなと思ったりしたのだが、ともあれ。
 同様にバイテクを駆使したグロテスクでも、父デヴィッドの主人公が身体的にも倫理的にも人間を積極的にやめていくのに対し、息子ブランドンの世界では高度なテクノロジーも人間性の放棄も俗な世間の欲望に利用され、その掃きだめとして主人公は蹂躙されるのだ。
 他人の人格を乗っ取り、ターゲットを仕留めた後は自ら(乗っ取った他人の)命を絶って事件を迷宮入りにする究極の暗殺者を描いた第二作『ポゼッサー』も同様だ。主人公はターゲットを決める上部組織の勝手な意向と・自身の家庭の不和で二重に拘束され、ただ肉体だけが無理やり怪物化させらる苦痛にのたうち回る。
 …あくまで一面的な見かただ。物語には様々な側面と楽しみかたがり、一人の観客(僕)の中ですら、解釈はひとつではない。けれど今回は、この一面的な側面に徹して言う。『インフィニティ・プール』もまた、よく出来た階級差ホラーだった。

 主人公は6年前に商業デビューして以来、鳴かず飛ばずの売れない小説家。スランプ解消のヒントになるかと、裕福な妻とともに訪れたのは、セレブが集う一方、観光客を嫌う地元民からは厳重に隔離された海辺のリゾート地で…という初期設定。アメリカの裕福な観光客が、中欧の秘境ツアーで返り討ちに遭うイーライ・ロス監督の『ホステル』(21年4月の日記参照)を連想させながら、野生の狼は怖いぞ的な赤頭巾ホラーではなく、本当に怖いのはリゾートで主人公を歓待するセレブたちのほうでした、な青髯タイプだったことが、次第に明らかになる。
 詳細は省く。その詳細こそが本作のハイテク・バイテク・ホラー的な意味でのキモ(キモさ)なのだけど、今回の日記(週記)は一面的なので端折ります。鯨飲暴食に興じては、さらに食べるためわざと吐く古代ローマの退廃的な貴族のように、自分の身体を甦らせては死と暴力の戯れに興じるセレブたちとだけ言っておきましょうか。だが、彼ら彼女らにとって最大のごちそうは、父デヴィッドが描いたような人間の超克ではなく、そんな歓楽の輪に入れない負け犬を(入れるかのように見せかけて)招き入れ、徹底的にいたぶる、きわめて世俗的な階級差ゲームなのだった。
 さすがにコレはネタバレなので伏せるけど、最後に待ち受けていた究極の仕打ちが たたみます。(クリックで開閉します) 精神攻撃で、やー、創作してるひとが、とくに原稿が佳境のひとが観るにはピッタリ…もとい、きわめてつらい。ぜひ観てほしい(笑)
 いや、作家志望者だけじゃない。セレブや勝ち組に憧れて、インフルエンサーの動画に自己を同一化して、自分まで成功者=someoneになったつもりの「経営者目線」の人たちも、観れば少しは身につまされるのではないか。セレブや勝ち組が、セレブや勝ち組であるのは、食い物にする負け犬がいるからで、食い物にするために(いたぶるうえでも)最も効果的な罠は「あなたも私たちの仲間よ」と特権サークルに招き入れ、残酷なゲームに参加させることなのだ。放り出すために。いや、拘束したまま、いたぶり尽くすために。
 これは映画ではなく、現実社会の話でもある。だからね、やめなさいよ、「ヒーローになりたければ俺についてこい」と唆す連中についていくのは。

 こうして見ると、改めて父クローネンバーグは(息子ブランドンが悪意たっぷりに描く)世俗の欲望に最初から興味がないように思われる。そのことが父の作品をグロテスクだが美しい理想譚として僕を(恐怖とともに)惹きつける一方、現世の人間の醜さを暴きたてる息子の仕草からも目が離せない。
 決して何者(someone)になれなかった『インフィニティ・プール』の主人公は最後の最後、人間を超えるのではなく、負け犬として、人間(man)であることすら諦めたnobodyとなることで、ようやく安住の地を得たかのようにも見える。それが物理的には荒れ狂う嵐でしかないのも、監督の突き放した世界観のあらわれだろう。(社会的に)人間であることは、かくもつらい。

とても政治的〜推し活について(24.7.20)

 「地元愛が満載の○○県観光ガイドブック」みたいな広告の文言を見て、脳内で「地元愛」に「じもあい」とルビィ、もといルビを振ってしまう程度には『ラブライブ!サンシャイン』のファンなのであった。
 
 二期のTVアニメ+劇場版完結編の後もグループで、あるいは数人ずつのユニットで活動を続け、舞台を異世界に移したスピンオフなども制作・舞台となった静岡県沼津市は「聖地」の成功例のひとつにも挙げられる(※上記のガイドブックは関係のない他県)。その作中に登場するアイドルグループで、演じる声優さんたちが実際にステージ上で歌い踊る9人組「Aquours」が結成9周年をもってグループ一体となってのライブに区切りをつけるというニュースが届いたのが先月だったか。ネット上には悲嘆にくれながら最後まで前向きにメンバーに感謝し応援しよう・いやこれで全て終わったわけではないと健気に励ましあうファンたちの声が溢れた。
 聖地巡礼まではしてないけど、旅行中に沼津駅で乗り換えのときタイアップの「のっぽパン」くらいは買いましたよ…というキャプションと、Aqoursの9人(劇場版の服装)をあしらったティラミス味の「のっぽパン」と、タイアップではない桔梗信玄餅味の「のっぽパン」
 9人組のAqoursにも、数人単位のユニット・あるいはソロ曲・ライバルになる函館のグループ・そのライバルとAqoursの合同ユニットにも好きな曲・ハマった曲が沢山あるのだけど、個人的に好きというより驚いたのは
Aquors - 聖なる日の祈り(YouTube/公式/外部リンクが開きます)
歌詞はシリーズ全体の歌詞の多くを手がける畑亜貴氏。模範的なクリスマス・ソングの曲調に乗せた「みんなそれぞれの夢に向けて頑張ってるんだから、今はすれ違ってもいい」「今は互いに分かりあえなくてもいい」という言い切りがすごくてビックリした。(最終的には和解できたことを暗示してもいるようだけど、それは各々聴いて判断していただくとして)
 9人が三人ずつに分かれてのユニット曲
AZALEA - LONELY TUNING(YouTube/外部リンク) も驚いた曲(歌詞)のひとつ。私たちがラジオの電波に乗せて、大切なあなたに贈りますという体裁の、そのメッセージがどう聴いても「いま仕事で苦しい人は、どうか無理せずに休んで」という内容だったからだ。やはり作詞は畑亜貴氏。秋元康(呼び捨て)はAKBグループや坂道グループに、こんな歌詞を書いたことがあるのだろうか。いや奴は商売上手だから、あるかも知れないけど(笑。本当にキライなんだな…)。
 さらに昔、ラブライブ!とは似て非なる「ラブプラス」という恋愛シミュレーションゲーム(?)があって。高校生の女の子という設定の同級生・先輩・後輩だれか一人を選んで、デートしたり会話を楽しんだりというゲームらしい(未プレイにつき詳細は知らない)のだけど、それぞれの女の子に「どうしても辛いときに選ぶ(ボタンを押すとかする)と再生されるメッセージ」が用意されていた、という話があった。詳細は知らないが、たぶん絶望しての自棄的な行動を止める呼びかけだったのだろう。
 たかがコンテンツと見下す部外者には分からないかも知れない。けれど物語やコンテンツ・あるいはアイドルや「推し」といった存在には、たとえば疲れ切った人間を人生に踏みとどまらせるだけの力があるし、その力を(押しつけがましくない程度のレアさで)正しく使おうとする志が制作者側にもある(ことがある)ことを、弁護側の証人として申し述べておきたいとは思う―アイドル商法や課金など「萌え」や「推し」の商品化・末端の労働者(キャストやアニメーターとか)の待遇などなど、おそらく問われるべき多くの問題があるにしてもだ

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 弁護側の証言が終わったところで「異議あり」でもないのだけど、そして二次元の架空キャラの話でもないのだけれど、コンテンツ産業・最近は流行り言葉にもなっている(=ビジネスチャンスがあると思われている(あーやだやだ))「推し活」全般の話として、逆にモヤモヤした話をさせてほしい。
 二次元でも架空キャラでもない、実在する人たちによる実在のバンドの話なのだけど、僕は名前を聞いたことがあるかな…?程度にしか覚束ないグループの、メンバーの一人が同性のお相手とパートナー宣誓をした旨をX(SNS)で発表して、たちまち数千単位の「お祝い」のレスポンスがついた。それはいい。あからさまなアンチのコメントは(最初の50件くらいしか見てないけど)見逃すくらいにしか見当たらない(それも「どうでもいい、音楽にしか興味ない」といった、わざわざ言ってる時点で「どうでもよくはない」のだろう遠回しなイヤミくらいだった)のは、まあ悪くはないことなのだろう。けれど同時に
「いつかは結婚もしたいです」
という一行に対して「お二人が結婚できるよう応援します・願っていますと応えるレスポンスもまた、最初の50件かそれ以上を見て1件くらいしかなかった、そのことに強い違和感も禁じえなかった。
 「お祝い」のほとんどは「おめでとうございます」「お幸せに」といったもので、
 また誰かが言ったことのコピペなのか、判で押したように「こんな発表が堂々とできるようになったこと、良い時代になったと思います」「なった」じゃなくて「した」・あるいは今まさにこの当事者が道を切り開くように「しようとしてる」んじゃないの。そもそもまだ「結婚したい」という願いは叶っていないし応援しますと表明する人が50人に一人しかいない、それを「良い時代になった」と自賛しちゃっていいの?
 祝福のつもりなのか「愛のかたちは人それぞれ(祝福します)」というコメントも複数多数あって、気の利いたこと言ったつもりかも知れないけど、結婚してる異性愛カップルには認められる権利が「当然のように認められてない」現状を「かたちは人それぞれ」って言っちゃっていいの?
 そして当のミュージシャンが(これもクリシェなのだろうけど)「これからは幸せは二倍・つらいことは二人で半分こして(頑張っていきたい)」と書いているのに「素敵」と感激してみせて、権利の不均衡・不平等・不公平には何も言わない人たち、感動という幸せだけ(祝福という体裁で)分け前を自分のものにして「つらいことは分かち持とうとしてないの、自覚してます?
 当の当事者のかたは、もっと心が寛いかも知れないけど(なにせ僕は猫の額のように心が狭い)数千件の祝福は、それは嬉しいとしても、ふっと醒めた時すごく悲しい・もしかしたら憤ろしい気持ちになるかも知れない。そんな想像力も「ファン」は持たなくていいの?お客様は神様かも知れないけど、コンテンツを売るほうは(も)人間だって、知ってる?
 
 こういうことを言うと「政治的であることを押しつけられた」と、あるいは「結婚できるように・制度が変わるよう応援します」といった発言を見ると「政治的だ」「音楽に(推し活に?)政治を持ちこむのは良くない」と思うかも知れない。
 違うよ?
 当事者の「結婚したい」という願いを公然と無視することも、明白に政治的なんだよ。「素敵。愛の形はそれぞれ。感激しました。でも異性愛者と同じように結婚したいというあなたの望みには関知しません。カミングアウトできるだけでも良い時代になったと感謝すべきです」というメッセージは間違えようもなく政治的で、とくに数千人が異口同音にそう言うのは、とても、とても政治的なんですよ。
 あなたたちは政治的だ。とくに大多数の「ファン」という集団を成したとき、あなたたちは避けがたく音楽に政治を持ちこんでいる。
 祝福もするなと言うんですか、ではない。それが本当に祝福か考えるべきではないのか、という話をしている。あるいは考えるまでもなく「感じる」ことも出来ないのかと。
 間違いなくオタクのはしくれであり、オタク的なものに何度も人生を救われ・支えられてきた一方で。無邪気に「推し活」を体現する人たちの、こうした「政治性」を、僕は時どき耐えがたいと思う。もちろん、オタクに限った話ではない。

 別に傷心旅行じゃないけれど、明日から少し留守にします。御静聴ありがとう。

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(24.07.22追記)旅先でネットに接続できたので。先日の日記について(二人称の詰問になってしまったけど「あの人たちはこうなのだ」と突き放して書いたほうが文章としては良かったのかも知れない・自分もまだまだ修行が足りない)現行の制度は、たとえ社会的に構成された人為的なものでも「自然」だと認識されがちなので、異議申し立てだけが「政治的」と思われ、既定路線を良しとする意志表明の政治性は透明化されてしまうのかも…なんてことをアイリス・マリオン・ヤング『正義への責任』(岩波現代文庫)を読みながら考えたりしています。旅行=読書(笑)。
 人前で堂々と広げて読むには少し恥ずかしい『正義への責任』の文字が大書された書影と、連なるビルの一面にペンキで青空が描かれた某所(旅先)の写真。
関係ないけどバイデンの撤退は四年ほど遅すぎた。当初から「つなぎ」として次代育成に徹すべきだったと僕は思ってます(それがすごく難かったのも分かってはいるけど←詰問調を和らげている)

したいこと全部する〜18きっぷ旅行24年夏(前)(24.7.27)

 生きてるうちに、は大げさだけど。夏の炎暑も、社会の閉塞も、深刻度が深まる一方に思えて、今年できることも来年は出来ないかも知れない。だったら今したいことは今しよう。そんな風に思って久々にまんがを描き下ろしたし、18きっぷを利用して能登の震災ボランティアにも行ってきました←まあその話は明日(7/28)以降なのですが。

 1)横浜→名古屋→岐阜
 そもそも金沢に行くまでに二日はかかる。ものすごく無理すれば18きっぷ(富山〜金沢は私鉄)でも一日で金沢まで辿り着けるけど、15時間くらいノンストップで電車に乗り続け、翌朝6時半に集合のボランティアに参加できる自信がない。旅行の初日は7時間くらい?かけて岐阜まで行くことで満足することにした。
 ※僕が首尾よく横浜→岐阜まで行った翌日、東海道線(新幹線のほうだった気もするが)はトラブルで大幅な遅延があったと聞く。余裕を持たせておくことも今回の旅程では重視した。
 名古屋は手前の金山で下車。味噌かつでお馴染み「矢場とん」の別形態「むかしの矢場とん」で遅めの昼食。串かつと味噌おでんを主軸にしたお店らしい。土手煮丼(小)に豚汁・ソースと味噌の串かつ一本ずつと、冷やし茹で玉子の味噌おでんで1200円くらい。小さめの丼ものに同じくらいの大きさの汁物・後は小物をという食べかた、台湾で魯肉飯と具の充実したスープ・青菜などで組み立てる食事と似たパターンで、もう「わらじトンかつ・ダブルでドーン!あっ土手煮も」みたいな暴食のできる齢でもないのでありがたい。ありがたいけど、次があったらガッツ麺かな。
 左:むかしの矢場とんでの食事。詳細は地の文のとおり。右:名駅名物のナナちゃん人形。
名古屋にはナナちゃん人形に挨拶するためだけに下車。今回はシンプルなノースリーブの紺のワンピでした。このお召し物、前にも見たかも…と思ったら2019年3月にも見たわ。擬人化イラストも描いてたわ(笑)
 左:2019年のナナちゃん人形。右:名古屋コミティアの「売り子外出中」ノートに描いた、金髪オールバック・擬人化したナナさん。
考えてみたら、あの巨体に合う衣裳、用意だって大変なわけで、再使用もむべなるかなと。
 
 三月に続いて(3月の日記参照)初日は二度目の岐阜泊。駅の西北に広がる問屋街が面白かった。昭和感のあるコンクリビルの壁一面に水色のペンキで青空が描かれている。非現実的な日差しの強さも相まって、なんだか別の国に来たみたい。
 左:問屋街の全面。中:青空をペイントされた壁面。右:内側のアーケード通り。
 日曜日の問屋街なので店の大半はシャッターを下ろしていたが(その中にカンボジア食材店なんてものがあった。ぜひとも覗いてみたかった)逆になぜ開いてる?そもそもなんでこんな処に?という古本屋があって、義務感と冷やかし半々くらいで入ってみたら、文庫の並び一つ取ってもこだわりの見える選書と配架。んーやっぱり面白いのかも知れん、岐阜。
 左:伸びた木の枝の下にたたずむ鹿のペンキ絵。中:カンボジア・マーケット(シャッターは降りている)。右:並んだシャッターの一枚だけ上にあげて営業中の岡本書店。
 ケルアックやアポリネールの文庫が並んだ棚から、この本屋が勧めるのならと前々から気にかけてはいたジーグムント・フロイトモーセと一神教』の古本を。こちらは開いてたベトナム食材店でココナツミルクの粉末と、タマリンドジュースの缶を購入。
 しかし流石は問屋街、軽い夕食を調達と思ったら宿の近くにコンビニが見つからない。炎暑の中、しばらく彷徨って一般客もOKなプロ向け食材店へ。何もかもサイズが大きいガリバー旅行記みたいな店内で、どうにかトマトと絹豆腐(正油なし)・冷凍ドーナツふたつを手に入れ、これが岐阜での夕食に。
 写真二枚。左からココナツミルクの粉末・タマリンドジュースの缶・フロイト『モーセと一神教』の古本・ミニサイズの充填絹豆腐・トマト・冷凍ドーナツ(グレーズがけクルーラーとチョコファッション)

2)岐阜→金沢
 翌朝5時に宿を出て、5:30発の高山本線で富山に向かう。5:30発か6:30発(こちらは富山の少し前の山中の何もない中継駅で3時間待ち)その次の電車は11:45発で富山到着は19時。どうしてこんな不規則なダイヤ、という謎は乗ってみて解けた。高校生が乗ってくるのだ。早い子は始発の岐阜駅から、山の間を走る電車に何時間も揺られて8:00ごろ到着の飛騨高原・もう少し後の飛騨古田と行った駅で次々と下車していく。
 地元の高校生には見慣れた景色かも知れないけれど+たいした写真は残せませんでしたが、山また山・時に川や山をくり抜いた自動車道と並行して走る眺めはなるほど面白い。温泉で名高い下呂の少し先に上呂という駅があって、なるほどと思う。一面に靄をたゆたせている青灰色の水面を過ぎると焼石という駅に停車し、これが本当の(以下略)…
 高山で1時間ほど待ち合わせ。また驚いたことには、ここで何組もの外国人観光客が乗りこんでくる。まあ都会でナイキやディオールのショップを見たり、ユニバーサルスタジオに行くよりは(そっちも行ったかもですが)運賃だけで翠と碧の山中で数時間ライドを選ぶのも遊びかたを心得た人たちかも知れなかった。
 高山本線からの眺め。運転席から見える線路の先。山と緑を背景に、高架道路が走る風景。山と電車の間に、並行して川が走る風景。
 岐阜から富山まで6時間半は18きっぷ・富山から金沢までの1時間を私鉄で1300円くらい。13時半ごろ金沢に着いて、少しだけ街を散策。まあ暑い。暑いけど金沢の街は風の通りがよくて体感かなり楽。
 左:気温32.3℃を示す掲示板。右:「研修があるから未経験でも安心」「週1日もOK 一緒に働こう!」と手に手にフライパンやワインを持って微笑む女性店員さんのイラスト。
前回(1月)に見かけて気になっていたイタリア料理店で後輩(新入店員)を募る美人さんたちにも再会、今回はしっかり写真に残す(笑)。ほら、したいことを躊躇しない旅行ですから。

 宿はすごく久しぶりにドミトリーを利用しました。ネットの口コミで、震災ボラに行った人が使ってて満足だったと書いていたので。自分も心地よく利用できたと思います。そのあたりも含め、詳細は次回に。

したいこと全部する〜18きっぷ旅行24年夏(中)(24.7.28)

3)孤立者の災害ボランティア参加心得〜金沢→輪島
 まあ能登で半日ボランティアするために必要な費用を、横浜から現地までの旅費や宿泊費まで含めて考えると、その分の金額を寄付して家で寝てるほうがコスパとやらはいいのかも知れないので、もっぱら自分の心の安寧(皆がこぞって言うように「親切は健康にいい」)と経験値を積むために行ってきたと考える。分かんないからね、南海トラフとか。
 ※東日本大震災では後方支援とか、現地でも周辺的なこととかしか出来なかったので…

 とはいえ「シロウトが思いつきでTシャツ富士登山→遭難」みたいな事態にならないよう「とにかく倒れたりケガしたりして足手まといにならない」を最低限の目標に準備を進めました。
手続き
 何か伝手や人脈があって行くわけでない、孤立者の飛び込みなので、ふつうに「能登半島 ボランティア」で検索してヒットした
令和6年(2024年)能登半島地震・石川県災害ボランティア情報(外部リンクが開きます)
で、まずは災害ボランティアに登録→週ごとに更新される募集情報を見て、金沢駅に早朝集合・マイクロバスで現地まで向かう「ボラバス型」に応募しました。先回りして言っておくと、当日は高速バス旅行の要領で名簿に名前があることを確認・渡された案内のQRコードをスマートフォンで読み取り、最終登録を行なう方式です。
準備すること・もの
・ボランティア保険に入る:地元の社会福祉協議会で手続き。横浜市の場合は保険料500円。
・破傷風ワクチン:保険が適用されないので自己負担(5000〜1万円くらい)。
 効果が出るまで三週間くらいかかるので、ボラ行こうと思い立ったら早めに。
装備は主にワークマン的なお店で揃えて
・防刃手袋:400円くらい。必須です(軍手では無理)。
・防塵マスク:5枚700円。今回はKF94でも代用可な感じでした。
・安全ゴーグル:350円。メガネの上から装着できるもの。今回は持参したけど使わず済ませました。
・踏み抜き防止インソール:700円。必須です(釘やガラス片など踏む恐れあり)。
 今回はコレと運動靴で済ませてしまったけれど、上も防護する安全靴が欲しいなと強く思いました。
・長袖のインナー:800円。キズ予防に必須。Tシャツを上から着て野球選手スタイルで。
・屋内用スリッパ:330円。今回は使わず済みました。かさばるし、ボラ参加には薄手のでいいかも。
・絆創膏:110円。使わなかったけど必須。
・帽子(キャップ):持ってたものを使用。まあ絶対に必要です(特に夏は)。
・タオル・ウェットティッシュ等も準備。
 自分は氷冷タイプのウェットティッシュを多用しました。
・昼食と十分な飲み物
 飲み物は麦茶・スポドリなどの他に水も用意しておくと(現地でも用意されてはいる)ケガなどの際「まずは洗い流す」ため有用と聞きました。
あと、上記募集ページには無かったけど用意して使わなかったものとして
・懐中電灯:110円
・布テープ:110円
・油性マジックペン:110円
他のボラ参加者が用意していて、あーと思ったのが
・ヘルメット:「帽子で大丈夫ですか」と現地で訊いて「大丈夫です」と確認できたし、実際だいじょぶでしたが、今後(南海トラフとか)考えると、あっていいかも。
・空調服:袖無し型7000円くらい。あると著しく楽だそうです。
あと本部で用意されてるけど「角スコップあるといいな、ほしいな…」と思ってしまった…
 旅費や破傷風ワクチンを除いて、今回の装備はだいたい5千円くらい。洗うものは洗ったうえで今度の旅行のために新調した+今後旅行用には使う機会もそうないだろうスーツケースに薬や水非常食などと一緒に詰めておけば、緊急災害用持ち出しセットの出来上がりという算段でした。
当日
 今回は廉価を最優先でドミトリー泊。前にもボラ参加者が利用してる実績のあるところで、チェックイン前・チェックアウト後の荷物あずかりなどサービスも細やかで結構アリかなと思いました。前日早寝で(というか岐阜を朝5時に出発だったからクタクタではあった)目覚ましが鳴る前に起床。
 左:各種ティーバッグにインスタント・ドリップコーヒーを揃えたセルフのドリンクコーナー。右:淹れたコーヒーと、クリーム玄米ブランで朝5時の朝食。
 突然ですが今回のまとめ:ボランティアも参加者から傷病者を出さないことを最優先に配慮されてます。甘く見てはいけないのだろうけど「自分なんか…」と尻込みするほどではなかった。ボラ怖くない。

 それでも「とにかく倒れない(そして遅刻しない)」を目標にしていたので、拘束時間が最も短い金沢駅6:35集合→輪島市9:30着・15:30発→金沢駅18:30着・流れ解散のコースに応募。
 言い替えると往復6時間はマイクロバスの旅。のと里山海道、前日の高山線とはまた違った絶景で好かったです。ただし輪島市に近づくと減少した車線+かなり道路が傷んでいてガタピシ。市の中心部に入ると箱をつぶすようにひしゃげた家屋が散見される。
 どこの町にもありそうなスーパーや家電量販店・ホームセンターなどが集まった一角の駐車場に設けられた本部に到着。定員15名の参加者は「今日は男性が多い」とのことで女性は1名。2班に分かれ班長や副班長・軽トラの運転手を決める。出来なければ申し出なくて良い。人見知りでもネコをかぶって最低限のコミュニケーションが出来れば大丈夫でした。「よぉー○○ちゃん元気してる?」みたいな排他的なノリはないので安心。ボラ怖くない。
 輪島市の当日の気温は33℃。警戒レベルがもう一段あがったら即終了・15分作業に休憩5分または20分に休10分と小まめな休息を厳命され、作業スタート。午前中はエレベーターがない公営住宅の三階から6人がかりで冷蔵庫を地上に下ろし、軽トラに乗せて移動→新しい住まいになった別棟の二階(やはりエレベーターはない)に運びあげる作業。わりと長めの昼休みを取って、午後は全壊した家屋の下に埋もれた思い出の品を探したいという依頼を受け(探すのはお任せとして)下準備として瓦礫の撤去。金沢の、犀川を渡ってW坂を登った先の寺社町にあるような、光沢のある黒塗りの瓦(かわら)が
 こういうの、と金沢市で撮影した瓦を例示
文字どおり瓦礫となって建物だった敷地一面に敷き詰められている。それを拾い上げ、スコップですくい、ネコ(一輪車)で運んで除けていく。破片とはいえ瓦は重いし、真っ赤に酸化したシャーシみたいな金属スクラップも出てくる。もちろんガラス片も。側溝の上に見かけだけ物が積もって、地面だと思って踏み抜く危険も。踏み抜き防止の鉄板入りインソールだけでなく、やっぱり足の甲まで保護してくれる安全靴があるに越したことはないなと実感しました。この作業が一時間半くらい(休憩を含む)。いやだから「もっと働けよ」みたいに言われても困るって。自己犠牲が売りじゃないんだから…まあ、この炎暑が作業をかなり制限してるなとは思います。ともあれ熱中症もどうにか回避・いい疲労感で割当を終了しました(別の箇所に向かった班ではもう少し手間取った由)。
 左:天然水のペットボトルと、現地で買ったフルーツトマト、この後すごく汚れることになる防刃手袋。右:清潔な簡易トイレの内部。
 用意していたバランス栄養食な昼食の足しに、本部横のスーパーで地もののフルーツトマトを買う。店内でふつうに買い物してる地元の御婦人がたが「コロナの感染がすごいらしい」と話している。男女共用2基・女性専用1基が設置された仮設トイレはウォシュレットもついた清潔なもので(もちろん小まめに清掃もしてるのだろう)現物がどちらか確認しそびれたけど、中にあったパンフによれば電源を天井の太陽電池から取れるタイプもあるらしい。折角だからリンクを張っときますか:
自律式移動型水洗トイレ「サラオ」(Gテクノ株式会社/外部リンクが開きます)
 ボラ参加者、中高年が多めです。あとワークマン系で腕に覚えありな人も多かったみたい(でも自分みたいな日陰ホワイトカラーも紛れてたかも知れない)。昨年は福知山(台風)のボラに行ったよーなんてシニアのかたもいらした。
 休み時間に雑誌くらいの大きさの太陽電池パネルを広げてスマートフォンを充電する人がいたり、『図解・世の中のしくみ』みたいな本を行き帰りのバスの中でも読んでる人がいて知見が広まった。後で調べたら20年くらい前に流行ったタイプの本らしく「生活保護とは」「脳死とは」みたいなトピックから「コミッショナー制度」??スポーツの話題まで、んー、いつの時代もあっていい本かも知れない。人類に紛れたい異星人が地球の勉強をするのに良さそうで一冊ほしくなりました(ま、手に入る縁があればね)
 ハントンライス
 帰路は想定より早く18時前に金沢駅に到着・流れ解散、宿に戻って洗濯機を回す間にシャワー・乾燥機を回す間に近場の洋食屋で金沢名物ハントンライスを己に許す。
 現地で伺った話だと、これからボランティアを募る市町村が減っていくけど輪島市と珠洲市は当面継続・年度いっぱいは必要があるそうです。世話人の社会福祉協議会は軽トラや工具(スコップやバールのようなもの等)・日除けのテントに至るまで自分の財産としては持てずレンタル頼りということで、赤い羽根共同募金から支援を受けているほか、寄付も随時募集中だそうです。

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 あ、そだ。余計な話かも知れないけれど、仁藤夢乃さん(Colabo)は当然のように何度もボラで現地入りしてるらしい。Colaboが新宿でやってた家出少女のシェルター的なバスに「議員だ、視察させろ」とズカズカ乗り込んだうえ女性スタッフにセクハラした馳浩は、後に石川県知事になり、被災地を放ったらかして今年の夏も山遊びに行くとか。部外者だけどColaboに寄付もしてるし、中傷・妨害に乗じた東京都の支援打ち切りでは都庁前の抗議にも応援に行った(豪雨で酷い目に遭った)自分が、どっちの側に着くかといえば「ボランティアに自分も行く」は当然でしたよね…そういう文脈、知らない人も居るかもなので念のため。

したいこと全部する〜18きっぷ旅行24年夏(後)(24.07.29)

 最高気温33℃で「もう一段階上の猛暑アラートが出たら今日は中止」と言われた能登での災害ボランティア、今週はもう無理なのかも…秋田・山形の水害も心配…
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 空似アワー。左:これは高山本線だったかなぁ…なかせよしみさんの作風を思い出してしまったけど、御本人という可能性は…違うか…
 左:混雑時はリュックを前にしたりして「さわやかな通学を」と呼びかける女学生ふたり。右:観光クーポンぎふ旅コインをアピールする、頭に三角帽みたいなのをかぶった妖精さん。新型コロナ対策実行中を呼びかけるワッペンではマスク着用。
右は春先にも見かけて「クッポさん、こんな処で何してはるんですか」と思ったけど、よく見るまでもなく別人ですね…というかクッポさん、人か?(「テレタビーズ、動物か?」風に)
・参考:おがわさとし - クッポの小さな冒険(電脳マヴォ/外部リンクが開きます)
※なかせさんは丁度いい参照先がなかった…

4)金沢
 ボラの翌日は5年ぶりの大阪へ。午前中に金沢で心残りを回収しました。
 まずは喫茶めるつばうで朝食。バタつきトースト、本当はもう1/2枚(三角)があったのだけど「もぐもぐ…あ、写真写真」で取りそこねました。書棚にヨシタケシンスケさんの絵本を発見。
 左:めるつばうで朝食。バスケットにバタつきトーストと、選べる二品カレーとヨーグルト。バスケットの外にアイスコーヒー。右:ヨシタケシンスケ『りんごかもしれない』とアイスコーヒー
いや、もっともらしく「さん」付けしてるけど名前も忘れていたヨシタケシンスケさん。20年くらい前に本屋の店頭で『やっぱり今日でした』という、画集というか一コマまんが集をパラパラめくって「やばい」面白すぎる、こんなアイデアの宝庫を見せつけられてしまったら、自分のまんがを描けなくなってしまうと怖くなり封印した作家さん(たいへん申し訳ない)。ちょうどこの旅行中に横浜そごうで展覧会が始まっており、その後20年どうにか自分のまんがを描いてこれて封印も解いていいだろうと思っていた矢先の金沢での再会。今回の旅行は「持ってる」と思いました。
ヨシタケシンスケかもしれない展(7/23〜9/2/そごう美術館/外部リンクが開きます)
 苔の生えた幹の途中から青々とした葉がこぼれるカエデの樹。煉瓦敷の舗道に落ちたトゲトゲのカエデの実と、水たまりに映る葉影。左右に街路樹が続く木陰の舗道。金沢市。
 兼六園はパス。21世紀美術館はコレクション展のみ観覧。自メモによれば
「雲龍庵」北村辰夫(21世紀美術館/外部リンク)
ゲルハルト・リヒター(参考:「ゲルハルト・リヒターとは?」This is Media/外部リンクが開きます)
ガブリエル・オロスコ(参考:「ガブリエル・オロスコ展」東京都現代美術館/2015/外部)
そして
佐々木類(参考:「植物の記憶 - 佐々木類」(これやん/外部)
が著しく好かったです。ちな北村氏は輪島・佐々木氏は金沢で活動するアーティスト。
 とくに植物のシルエットを封じ込めたガラスの衝立で囲まれる佐々木氏の展示は、今はこうして「植物」と書いてるけど衝立のなかに「包まれてる」間は、それがシダ類なのか拡大した菌類(カビ等)なのか、はたまたクラゲ類なのかも分からず、ただこの美しく透きとおった原始的なものが人間という種の中にも「こうでもありえた」可能性の記憶として刻まれているような、その状態に回帰したい・早く人間をやめたいみたいな感覚に痺れました。
 午前中、金沢に残った理由のひとつが前日に見かけていた(閉まっていた)バクラヴァとトルココーヒーのお店「ハーネ・カフェ」。ネット検索だと午前10時開店とあるけど、11時過ぎに行ったほうが良いでした。
 左:ハーネ・カフェ店頭のメニュー看板。右:トルココーヒーに花の香りのクッキーと、バクラヴァのセット。追加でチーズ入りポアチャ(柔らかいパン)
 心残りがないように、と言いつつコレは逃したなぁと思ったのが、尾山神社のそばにあった昔ながらの食堂。ワニの串揚げにクエのフライ定食と、意外と攻めた内容だったので一度くらい入ってみても好かったかも。
 左:冬に撮影した尾山神社(参考)。中:尾山食堂のメニュー。日替りランチ990円・わに串あげトライアル価格990円(意外にクセがなくて旨いです!)・クエフライ定食(長崎県五島福江より直送!釣り物24kg級です)1980円。右:別の食堂ののぼり「食べ放題・炊き立て白米・名物めった汁。
別の食堂(ホテル併設っぽかった)の店頭に出ていた「炊き立て白米」を最初「白菜」と空目したのはいいとして名物めった汁って何?
 …確認したら、(里芋のかわりに)さつまいもを入れた豚汁、で大体いいらしい。これはいつか自分で作るかもなと思いつつ、さらば金沢。

5)大阪・倉敷・神戸
 今回は行きそびれたけど、大阪・船場センタービルを舞台にした大好きな漫画があるので共有しておきたい。こんなにも美しく物語によって祝福された場所って、なかなか無いよ。
町田洋船場センタービルの漫画(トーチ/無料/外部リンクが開きます)
 行ったのは万博公園。エントランスのガラス風鈴、風情があって好かった。一つふたつ南部鉄の風鈴も入れて違う音色を重ねても面白かったと思うけど。
 左:万博公園・左に観覧車・右にお祭り広場の屋根組を従えた、太陽の塔を背後から。右:エントランス・木の枠組みで出来た回廊の上で揺れさざめくガラス風鈴。
 まっすぐ民博(国立民族学博物館)へ。
 ちなみに僕は新しい一万円札はボイコット中で(五千円も出来れば避けたい)ATMでも千円単位でしか現金を下ろしてないのですが…ひょっとして同様に皆の渋沢ギライでキャッシュレス社会を促進する深謀では…
 赤くとぐろを巻いた羽毛貨(径50cmくらい?)と、隣の貝貨。
ソロモン諸島の羽毛貨を前に色々と考える。300羽ぶんのミツスイの羽根で作られ、男性が妻をもらう時の婚資や、島の掟を破った時の罰金に使われたという。
 なぜか今回はオーストラリアの木彫に魅了されたなあ。白いクチバシを頭ごと上に向けたアヒルとか、ソファのあるキレイな部屋のインテリアに好さそう。蛇も。飾りたい。狩った獣の剥製を飾るより、ずっと文明的なのでは。
 左:鳥や動物をデフォルメしたオーストラリアの木彫像。鳥のばあい羽根を独特の紋様で処理している。右:蛇の木彫二種。ひとつは波打ちながらも押しつぶしたU字のようにコンパクトだけど、もう一つは野放図に他方項にくねりまくっている。
ディンゴ一家。すごくいい。
 胴体を大胆な縞模様で塗ったディンゴ一家の木彫り。子ディンゴが二匹、鼻を突き合わせてるレイアウトも好し。右には巨大な眉のような木製容器「クーラモン」が見切れている
 詩歌をタイポグラフィで図案化する現代アラビア書道も面白かった。日本の徒然草や奥の細道あたり(忘れました)を書いてるものもあったけど、とくに印象に残ったイスラム圏の詩を二つ引いておきます:
「もし愛にふるえる心をあなたに捧げることがないならば、心など何の役に立つだろうか?心など持っていて何になるだろうか?」(13世紀ペルシアの神秘主義詩人ジャラールッディーン・ルーミー)
「土くれより創られし我が身なれば、それがありし何処も我が祖国にて、世の人すべて我が同胞なり」(11世紀シチリア出身のアラブの詩人アブー・アルアラブ・アッシキッリー)

 土くれより創られし吾、続いて鶴橋へ。冷麺を食べ、水キムチとサラダっぽい大根と胡瓜の辛くない(甘酸っぱい)キムチは宿に持ち帰り。
 左:鶴橋・冷麺館の冷麺とおにぎりセット。右:鶴橋で買った水キムチと甘酸っぱいキムチ。
北新地の「まん馬」は20年来(大阪在住のSF作家・堀晃さんが紹介されてたんですよね)足を運んでた「すんどぅーふ」の店で、コロナ禍で一番心配で時々ネットで「よかった、まだある」と確認していたので再訪できてよかった。世に倣って「スンドゥブ」と改名してたけど全然よかった。
 カルビつきスンドゥブ定食
 西に行くならコレだけはという心残り、もう一つは倉敷(岡山県)のミルクセーキ。
 今では元祖ぶっかけうどんでイメージ固定(安定)してる老舗「ふるいち」、昔は夏はかき氷やミルクセーキを供してて夏休みに母方の実家に遊びに行くたび楽しみだったのが、もうなくなってしまって。諦めきれず確認したら大原美術館のそばにある、こちらも老舗の喫茶店エル・グレコで出しているという。今ならフラペチーノと呼ばれるようなカキ氷じたてで卵と練乳の甘味を、数十年ぶりに堪能しました。
 左:エル・グレコのミルクセーキ。中:駅前で食べたカレー。右:マヌル猫のカットが添えられた蟲文庫の紙袋。
美観地区の奥にある古本屋・蟲文庫にも足を延ばす。店名から察せられるとおり生物系・理系の本が多い感じだけど今回はなんか心を惹く本が多くて、どうにか二冊のみに絞る(後述)。
 神戸(兵庫県)は僕がコミティアに出始めたころ別系列であった一次創作系イベント(東京版もあった)の本拠地で、まだ地方遠征とか思いも及ばない頃になくなってしまったんだけど、そのほか西村しのぶ『サード・ガール』の舞台ですとか気にかけつつ、きちんと訪れることが出来なかった地。三宮で下車して元町駅まで歩いてみました。
 左:聖モルガン教会(結婚式場)。中:三宮駅からの眺め。右:カフェのバリスタふう美人さんが側面に描かれた自動販売機。
さんちか(三宮地下街)・旧外国人居留地(「神戸居留地」って缶紅茶があるけどコレか!と現地で気づく)・元町・中華街と効率よく歩けて好かったです。とくに「元町」「中華街」は横浜にもある地名・区域名で気になっていた。開国後に地位を築いた港町という共通点もあるし。中華街(コンパクトにまとまっててチャイナ「スクエア」て感じかも)では店頭売りの北京ダックを食べました。
 神戸中華街の写真2点と、食べる前の北京ダック・食べ途中の北京ダック。

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 いつも旅行の途中どこかで「こんな処で自分はいったい何をしてるんだ」と途方に暮れる感じ(それが旅の醍醐味だよねって倒錯した感情もあるのですが)を今回は憶える暇もなかった。暑すぎたせいかも知れないし、まあ楽しかったせいにしておきましょう。
 本を買ったのは倉敷の蟲文庫と、天王寺で漫画を二冊。鶴橋のイシケン堂(石剣堂)でも何か買いたかったのだけど、入れ違い・7/22で閉店・奈良の店舗と併合だそうです…
 左から『星旅少年(1)』『徳島SFアンソロジー』『水声通信・甦るライプニッツ』『いてもたっても、いられないの』
『水声通信・甦るライプニッツ』は読み途中。ばったん『いてもたってもいられないの』(祥伝社/2021年)は女性の性欲を赤裸々に描く五篇と言いながら、ほぼ全体が性行為そのものでは満たされない欲求(さびしさ?)、とくに後半二篇は「この人が大好きだけど恋愛感情じゃないから人生をともに出来ない」とジェンダーの規範やロマンチック・ラブの観念が逆に枷になってる話で興味ぶかかったです…上に引いたペルシアの詩と、ちょっとつながるでしょ(伏線回収)?
 坂月さかな『星旅少年(1)』(PIE COMICS/2022年)は前に何処かの旅先で見かけて気になっていたシリーズ。星空や鉱石や化石や硝子っぽい系列といえば言いのか、こういう作品は人体に必須な微量元素みたいなもので常に世の中にあってほしいので、少しずつ摂取していこうと思います。
 なかむらあゆみ編『巣 徳島SFアンソロジー』は、最近ではパレスチナ作家の作品紹介などもしているオンラインSF誌KAGUYA Planet(外部リンクが開きます)の企画(他にも京都編・大阪編があるらしい)。SF=そっとふみはずす、をテーマにした地元作家の競作で日常感は高めなのだけど、多くの作品で描かれる、社会の規範やインフラが崩壊ぎみの日常って(とくに地方では顕著なのかも知れない)現実と地続きで、もう現在そのものがSF・それもどうかすればポスト・アポカリプスものの終末SFなんだなと思わされる。ちょうどコレを読んでる最中・横浜に戻る東海道線が熱海の手前で(落雷による信号の故障とかで)30分くらい立ち往生、その後も放り出された途中駅では右往左往する乗客と当日なんだか祭りだかでごった返す人々が混じりあって…数日前もトラブルで停まってたよね東海道?…んーやっぱり「悪い意味で今がもう未来」なのではないか、暢気に旅行なんていつまで出来るか分からない世界線に突入してしまってるのではと実感しました。
 そういう意味では「こんな処で何をしてるんだ」は生活全体の実感かも知れません。なので旅だからといって殊更に感じはしなかったのかも。ま、地べたを祖国・世の人すべてを同胞と思って這いずり回っていきましょう(伏線回収2)。(この項おわり)

小ネタ拾遺・24年7月(24.07.31)

(24.07.15/海外ロケ)『孤独のグルメ劇場版』はいつもの調子でポン、ポン、ポンとカメラが引くと「腹が…減った」とボヤく井之頭五郎がタクラマカン砂漠に立ち尽くしていてほしい。
 「腹が…減った」とタクラマカン砂漠に立ち尽くすゴローさん(写真トレス)に「何か食わせてやれ」と台詞が重なる。「あいつはカーリマンだ」

(24.07.02)いつも訃報が来て初めて「このひと好きだった(泣)」となるので、たまには生きてる人を言祝ぎたい。7/2はロイ・ビタンの誕生日(1949〜)。そう多く知ってるわけではないけれど、この人のピアノ好きなのよ。まずは映画『ストリート・オブ・ファイヤー』より
Fire Inc - Nowhere Fast(YouTube/外部リンクが開きます)
 本来はブルース・スプリングスティーンの左腕的存在で(右腕は故クラレンス・クレモンズ(〜2011))本人ぜんぜん映っておりませんが、佐野元春「シュガータイム」の元ネタ=「Badlands」を。歌詞がすごく好い。
Bruce Springsteen - Badlands(Phoenix, 78)(同上)
 そして、いかにも王道ロッケンロールな上2曲に対して、蠱惑的な異彩を放ちまくりなデヴィッド・ボウイ「TVC15」。今日はこの三曲(のピアノ)を憶えてってください。Long Live, Professer!
David Bowie - TVC15(外部リンクが開きます)
※Badlandsがシュガータイムの元ネタなだけでなく、サムデイの元ネタはHungry Heart、そしてアンジェリーナの元ネタがBorn to Runだと気づいて、それを受け容れることで大人になった世代ですよ…(しかしポール・ウェラーのド直球プロテスト・ソングInternationalistsまで「個人の気の持ちよう」な「Individualist」に脱色しやがったのは「そういうとこだぞJ-Pop」すぎた…)
(同日追記)Internationalistsと言えば、辺野古基地反対の署名にクイーンのブライアン・メイが賛同して(ややこしいけど「反対に賛成」)話題になったとき、日本語に訳されたインタビューで「僕は国際主義者だからね」とコメントしていて、英語の原文で何と言ったかは分からないけど「国際主義だって!ブライアン・メイは左翼!サヨク!」と鬼の首を取ったような声が巻き起こらなかったの、サヨクはサヨクはと言う割にアンチ左翼のひとは左翼のこと知らないんだなと思ったりはしましたよ。まあブライアン・メイは環境保護とか「地球はひとつなんだからさ」くらいの意味で言った可能性は高いし(ポール・ウェラーはガチに「万国の労働者」的な意味で使ってる)どのみち当時「辺野古基地に反対するブライアン・メイは左翼!サヨク!」みたく言われてたかも知れないけど。
・参考:国際主義(Wikipedia/外部リンクが開きます)

(24.07.03)はい、今年の半夏生は7/1だったので焼きましたわよタコを。コンロの火にかけて使うタコ焼きプレート、買っても使わなかったら勿体ないなーと保険で一番小さなのを選んだため一度に9個しか焼けないうえ当人の要領が悪いのもあって、43個のタコ焼きを2時間かけて調理&消化。とんだスローフードでした。
 左:黒い鋳物のタコ焼き器の上で穴の上まで拡がったタコ焼き原液。上ふたつは外がコンガリ焼けた完成形で穴に収まっている。右:器に並べた完成品のタコ焼き。かつお粉・あおさ・ソースがかかっている。
さすがに一年分のタコを焼いて食べた気分、というか自分で作るタコ焼き、感動的なまでにお安いわけでもないので(自分の金銭感覚だとタコ自体お安くない)来年の半夏生までは慎ましくホットケーキミックスを焼いて過ごします←こっちではけっこう使ってる

(24.07.04)唐突だけどマンジョーの謎が解けた(かも)。レヴィ=ストロース『悲しき南回帰線』に頻出する謎の食べ物(今年1月の日記参照)。タロイモやバナナ、パンノキ(パンの実)みたいに比較的簡単に主食にできる植物を想像していたのですが―
横浜・みなとみらいにあるJICAの食堂の国際色ゆたかなメニューをネットで眺めていたら
港が見えるレストラン Port Terrace Cafe(独立行政法人 国際協力機構/外部リンクが開きます)
14時からの喫茶タイムのお品書きに本日のカレーやタコスチップスなどと並んでフライドマンジョッカ(Fried Mandioca)」なるメニューが。あーこれマンジョーかも、きっとマンジョーだと検索したところ
マンジョッカ・フリット - 魅惑のブラジル料理 写真特集(時事通信社/外部リンクが開きます)
たぶん間違いない。「マンジョッカはタピオカの原料になる芋で、英語名はキャッサバ」そっちでしたかー。
JICAの食堂は世界各地の料理が日替わり&手頃なお値段で試せるだけでなく、日本各地の名物料理も時おり扱ってるようで、さいきん食べた長崎名物トルコライス(写真左/この名称については14年6月の日記参照)と福岡名物ボルガライス(違う。福井。福井名物)の写真(右)を貼っておく。
 左:カレーピラフにトンカツとナポリタンスパがトッピングされた長崎式トルコライスとスープ・小鉢のマカロニサラダ。右:チキンライスを薄焼き卵で覆ってトンカツをトッピングしたボルガライスとスープ・小鉢の葉物サラダ。
アーティフ・アブー・サイフガザ日記』で頻出する中東の揚げ肉団子ファラフェルも日替わりでない常備メニューにあるようなので、そのうち食べてみる予定。マンジョッカも。

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(24.07.07)内訳を確認したら昨年同月より7%電気の使用量を自発的に削減しているのに、請求金額は18%の値上げ。こんな単純な合算でいいのか分からないけど、合わせると25%、先方(供給側)の都合で値上がってることになる。だから何が言いたいか。これから更に暑くなると思うけど「頑張って節電しても電気料金が下がらない」→「私の節電の努力が足りないではないので、騙されて自分を責めてはいけない。強いて言うなら「間違って己を責めず、責めるべき相手をキチンと責める努力」をすべき。「この暑さに対抗するために、吾が社の免疫ケア飲料を買いなさい」と売り込む企業なんかに従うのは、○○に追い銭と知るべし。
 キャプション「てゆか昨年同月→今年今月の電気代の差(割高)分て昨年の今頃あった「燃料費高騰のため電気代を国が減免(ガスも)」を今年なぜかやんぴしちゃった分とほぼほぼ一致なんですよね…まさかその減免やめた分、今年の定額減税で、予算を付け替えただけとか…」に、むかし描いて壮絶にすべった「夏バッティ」さん=映画『ブレードランナー』のラストで雨に打たれ死んでいくロイ・バッティ(ルトガー・ハウアー)の全身に滴る雨滴を汗に変えた(ひどい)イラストを添えて。
しかし「暑くて夕方まで投票に行けない」みたいな声もあるので、もう性別関係なく日傘は自衛で用意しましょう。投票所も勝手に早めに閉まるところがあるので要注意だ。

(24.07.05)都知事選に向けて駅前などで(蓮舫氏支持の)個人個人がプラカを掲げたりして単独スタンティングをしている現状が可視化された・#ひとり街宣Map(外部リンクが開きます)がすごい。もちろん今回の都知事候補で一番まとも(マシ)なのが蓮舫氏なのは間違いないけど、それにも増して「一番マシな候補」に懸ける人々の切実さが新しい形の選挙運動に結実していて、都知事選じたいの結果に関係なく、これは大きく何かが変わるかも知れない。
(追々々記)ひとり街宣のプラカに候補者名を書くのはNG・口頭で「私は○○さん推しなんですけど」と話すのはOKらしいです。
(同日追記)少しだけ冗談を言わせてもらうと+Xへのリンクは少し不本意ですが、このポスト→阿佐ケ谷駅は熱かった!(田村智子/X/24.06.29外部リンクが開きます)の爆上げ写真を見て※岸本聡子・杉並区長の紙を持った手指を逆向きに空目して「えっ福島瑞穂さんの肩を抱いてるの誰の手?怖い画像!?」と慄いた自分、『恐怖の心霊写真集』世代※※…
※※今となっては馬鹿みたいだけど「集合写真で誰のものでもない手だけ肩に置かれててギャー」みたいなオカルトネタがあったのです、昭和って時代には。
※この写真で爆上がるか冷笑するか「誰ひとり分からん…」となるかで組分けが出来そう。他県の市民なのに東京都杉並区の区長が顔で分かる本サイト運営者がどの組かは言うまでもなく。SNSには「このまま組閣してほしい」の声も。
(同日追々記)上記Xの投稿で田村氏と蓮舫氏が指ピースをしてるのは「ラブ」とか「キュンキュンしてね」的な文脈だけでなく、それが伝わった先のアメリカで女性自身の選択による中絶の権利を擁護する人々のサインに転じたことを踏まえての、反セクシズム(性差別主義)で連帯しようのジェスチャーなのだと思います。これは男性も連帯できるもの(じっさい僕はこの文脈をハリウッド男優マーク・ラファロ氏の仕草で知った)。

蓮舫を連呼した20日間〜都知事選ひとり街宣回顧録(Rikken_Jugend/note/24.07.12/外部リンクが開きます)
(さらに追記)岸本聡子氏を杉並区長当選に導いた(と言っても過言ではないかもな)ひとり街宣、そもそもの提唱者は宇都宮けんじ陣営らしい。色々つながってるし、少しずつロールオーバーしていくものなのだろう。

(24.07.12)「多数の有権者が(中略)「オレはオレのままでいいんだよ。オレはオレが大好きなんだ」と口を突き出すようになったことで民主政は終わりに近づいている」という都知事選(の惨状)に対する総括。
民主政の終わり(内田樹の研究室/24.7.12/外部リンクが開きます)
この期に及んで、まだ絶望を口にしたら責められるのかと(しかも「私は絶望していないが、皆が絶望してるせいで見通しは絶望的だ」という狡猾なやりかたで)たまらない気持ちになる一方、デモなどに参加する人たちまで「世界を変えられなくても、世界に自分が変えられないために」というガンジーだかの言葉にすがりつく現状を歯がゆく思っている(どうして「せめて自分は変わるために」と言わないのだろう)自分は吾が意を得たりと感じる部分も多く、そしてこの主張は自らは貴族主義と恃みつつ全力で民主主義を擁護したオルテガ・イ・ガゼットとほぼ同形であって(16年11月の日記参照)、とても「らしい」と思った次第。
(後日追記)こう書いた半月後、当の内田センセのブログがオルテガの名を連呼していて「うんうん、答え合わせ」と思うなど。氏が唱える「天皇制と民主主義の併立」には賛成できないけれど(天皇制、オルテガの理念とは真逆の日本人を内向きに分断させる装置ですやん…)。

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(24.07.08)アジアン食材店でココナツミルクの粉と一緒に買ってきたマッサマンカレーのペースト、添付された日本語訳の作りかたに「タマリンド・ペーストを足す」とあるのを作る段になってから気づいて、これは詰んだか?…いやいや、と「タマリンド・ペースト 代用」で検索したら「梅干しを刻んで入れる」でどうにかなる由。どうにかなったと思います。そうか(もちろん違うんだろうけど)おおむね梅干しみたいな味と思っとけばいいのかタマリンド。今度ペーストではなく清涼飲料のタマリンド・ジュースを飲むときも日本でよくある甘い梅ジュースのたぐいを意識してみよう。

(未発表)「一同、礼」「終了します」 “日本一短い祭り”今年も20秒で終わる(長野放送/Yahoo!ニュース/24.06.24/外部リンクが開きます)「みなさん、楽しんでください」(ヤン・ウェンリー)ですね。

(24.07.09)「それ、ライフハックじゃなくてライフヘックス(hex=呪い)だから!」という駄洒落を思いつくなど。何をしてて思いついたかは恥ずかしいので伏せますが、
Muse - Take a Bow (外部リンクが開きます)
←自分がhexという単語を知ったMuseのこの曲、リリース当時はジョージ・ウォーカー・ブッシュ・ジュニアを勝手に連想していた歌詞が20年後の今となっては地球沸騰化に邁進する吾々(おっと久しぶりに一人称複数形が出たね)全員に当てはまるように思えてきた。愛する国に呪いをかけたお前、地球に対して犯した罪の報いに地獄で焼かれるがいい…

(24.07.10)四半世紀も前のMuseの曲を蒸し返してる奴に言われたくもないだろうけど、最近リメイクの新作が制作発表されたアニメが『グレンダイザー』『らんま1/2』『レイアース』『ベルサイユのばら』『キン肉マン』で、まあ世の中そういうものかも知れない(海の向こうだってデューンにマッドマックスだとは言える)と思いつつ、どうだかなあと思わなくもない。ひょっとして星新一『午後の恐竜』を自発的にやってるのではとまでは思わないにしても。
あとなぜか今ごろ『かつて魔法少女は悪と敵対していた』がアニメ化される(た)の、ファンは嬉しいのかなあ。というか原作未完のまま作者のかたが急逝されて(けっこうショックだった)もう十年になると確認して、時の流れの速さに愕然としている。そりゃあ「ついこないだの話じゃん、よし○○リメイクしよう」となるかも。

(24.07.11)SNS(マストドン)で拾った、国連WFP協会を通してパレスチナへの食糧支援に協力している企業。
プリマハム、パレスチナへの食料支援に1,000万円を寄付(食品産業新聞社ニュース/24.02.16/外部リンクが開きます)
パレスチナの緊急支援に関するお知らせ 明治ホールディングス株式会社(24.03.05/外部リンク)
パレスチナへの食糧支援について カゴメ株式会社(24.04.01/同上)
他にもありそうだし、こうした企業にも叩けば出る埃がないとは確言できないけれど、取りあえず何処かをボイコットする(あの外食チェーン店は雇い止めがとか、あの食品企業は社長がセクシストのシンパだとか)とは逆に、積極的に選ぶ理由ができるのは悪くない。
パレスチナ関連ではないけれど
ハンディボトルがステンレスでフッ素フリーなタイガー(20.7.31/外部リンクが開きます)
ブラックサンダーは2022年9月に児童労働フリーのカカオ原料100%達成(ユーラク/2023.03/同上)
あたりを日ごろ選ぶ理由にしています。ブラックサンダーは「うちは中小企業だし使ってるカカオ自体ささやかな量なのでフェアトレードに踏み切れた(苦笑)」とアナウンスしていた記憶。明治のアポロチョコもフェアトレードになってくれれば、より心おきなく買えるのだけど…シュリンクフレーションとかしてない貴重な商品だと思います。

(24.07.13)こんな夢を見た。ずっと昔に行く道を違えて、今はもう逢えなくなってしまった人が隣に座っていた。最近は木工にハマっているのだと言って、柄の部分が白い木材の、折り畳み式のスコップ(ショベル?小さいやつ)をプレゼントしてくれた。二本あって、掘る側の皿みたいな部分に片方は茶色い小さなインゲン豆・もう片方は茶色い皮つきの落花生が盛られている。テーブルの上になぜか塩のボトルも置いてあったので、それにサッと手を伸ばしてみせるボケを二回くりかえして見せたが通じず、そこは「違うでしょ(いま食べるんじゃない)」と突っ込むところでしょと説明したら、三回目でペシッと軽く叩いてくれた。しかし自分はこれを蒔いて育てるのか、どうすんだろ?プランター?と内心で困惑しながら、目が醒める直前ようやく「嬉しいです、ありがとう」と告げることが出来た。And when I awoke, I was alone. This bird has flown.そこで僕は火をつけて…お湯を沸かしてオートミールでも戻しますか。塩だけはあるので。
 白い軟質プラスチックに、青いフタのついた塩のボトル。「南の極み」というオーストラリア海洋産の粗塩。
(念のため言うと、歌の前半みたいなことはなかったです。そういう間柄ではなかった)
・参考:土岐麻子 - Norwegian woods(This Bird Has Flown)(YouTube/公式/外部リンクが開きます)

(24.07.17)持ってもいない会社のクレカの今月の支払額が確定したという釣り(迷惑)メール。自分がAME×(いちおう伏せ字)を持ってる世界線での利用ぶりを知りたい気もしたけれど、スポーツカーや別荘・全自動麻雀卓など湯水のように買い放題とかだと少し怖いので削除削除。

(24.07.18)バングラディッシュで公職採用基準(枠の1/3が独立戦争の「英雄」の子女に優先割当)の是正を求める大学生のデモに警官隊が催涙弾とゴム弾で発砲、6人の死者、国内の全大学封鎖。まだ英語ソースのニュースしか拾えず誤読もあるかもだけど、形は違えど最近の日本の大学まわりで起きてることとと無縁ではなく世界規模で同時進行の出来事のようにも思われ。
(追記)日本語で読める詳報・続報、このあたりかなあ→バングラデシュの学生デモが暴動に発展、公務員採用の優遇措置に反発(BBC NEWS Japan/24.7.20/外部リンクが開きます)
警察暴力vs民衆暴動って構図が今の日本だと権力の手を借りるまでもない世間の自発的抑圧vs…(ここに入る項目がない)って感じだったんだけど、ひとり街宣、他の国でいう「蜂起」コレか!て興奮があったことは否定できません…

(24.07.19)日々精進。画像左・豆腐で「なめろう」はだいぶ無理があった気が(個人の評価です)。右は意外な大当たりで今夏のエースになりそう。こんにゃく麺のコシとツルツル感、実は冷やし中華とすごく相性が良かった(あるいはここまで仕上げた企業努力か)。
 上記のとおり左:豆腐なめろう・右:こんにゃく冷やし中華(月のうさぎ)
豆腐そうめんはイオンで売ってる麺だけ(つゆ・タレなし)が重宝してます。

(24.07.20)一応ヨコハマは晴(だいぶ曇ってる)・台北とKLは曇りなんだけど
気象案内のスクリーンショット。横浜34℃・台北34℃・クアラルンプール33.8℃。
台北みたく元から暑い想定で建物の前面に日陰の通廊を設ける都市設計には、今さら変えられないんだろうな…

(24.07.28)思いつきで「Nekomimi Girl」と検索したら「Nekomimi Ninja Girl」と題されたAIイラストがヒットして、さすがAI、全然ニンジャではなかった…まあ好みの画像だったので保存したけどな、さらばだ…

(24.07.29)反対を押し切って今年の8/6の平和祈念式典にイスラエルを招待する広島市、会場周辺への抗議プラカ持ち込みなどの規制を宣言したらしい。平和や核廃絶への訴えは(とくにそれを守る気もない者が)家元きどりで発言権を独占していいものではないでしょう←クラフトワークへの口撃も念頭においてます。8/1提出予定の緊急署名:広島市政による原爆ドーム周辺での入場規制-表現の自由-圧殺に反対する緊急共同声明(Change.org/外部リンクが開きます)に賛同しました。

(24.07.30)ここ数年の「余裕ある勝ち組の驕った贅沢、いーんじゃなーい?」というブランディングが頭打ちになったかウーバーイーツ、現実には大きな需要を成してるかも知れない「時間的余裕・余力がなくて自炊もままならない層」や「コロナ感染を考えると外出も難しい層」に(広告の)ウイングを広げあぐねて(なぜなら「素晴らしい日本」という幻想を保つため「苦しい人の存在」の可視化はタブーだし、わけても「まだコロナは警戒が必要」は絶対に言ってはいけないことだから)最近は「食材を買いに行ったら百万人めのお客様で胴上げされて帰れなくなるからウーバーイーツ(それって百万分の一の確率だよね)」「炊飯器が煙を吹いて消火栓が作動・ズブ濡れになるからウーバーイーツ(炊飯器リコール案件やん)」等いかにも無理のある路線だったのが、「オリンピック中継をテレビで観るためにウーバーイーツ!わーい」という五輪特需で息を吹き返してて、またスポーツ興業を厭う理由が増えた7月末でした。また来月。

 

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