25年冬旅行〜旅おさめ編(前)(26.01.04)
何につけ一応は絶望的観測をするのがクセですので、しばしば「ココに旅行できるのはコレが最後」「悔いのないよう行き残しを全部かたづけておこう」と悲壮な覚悟で旅に出たりする。たぶん十年くらい前、そんな気持ちで金沢の「旅おさめ」を敢行したのが昨年なぜか
一年に三回も金沢に出向いたりしてるので、全然アテになる覚悟でもないのですが…

まあ金沢の食堂はオプションというかボーナス・ステージとして、さしあたり
1.一昨年にめちゃめちゃ楽しかった北海道まで鉄道で行く旅(青森函館を船で渡る)日和って帰路は札幌から飛行機で帰ってきたのを帰路も鉄路で夏に往復したい(夏の小樽に行きたい処があるのです)
2.18きっぷWで使って四国・九州・山陰の未踏の県を周遊したい。鹿児島・沖縄間は船があるので実は渡ってみたいとも思っている
3.可能ならもう一回くらい台湾に行きたいので
無駄に戦争とか煽るの本当にやめてください
というわけで、今回は4.本州まんなかあたりの未練をザザッと片づけてきました。で、帰ってきて(とゆうか行ってる間から)感じていた教訓はこうです:
今週から来週にかけて(たぶん再来週も)の教訓:旅行を「エキストリーム・スポーツ」と取り違える生きかたは、そろそろやめたほうがいい
「18きっぷで鹿児島まで行って、船で沖縄に行く」いや物理的には可能、可能だけどサ…
* * *
4a)沼津で「のっぽ」を食べる
まずは東海道線で横浜から静岡を経由して名古屋に向かいます。たとえばこの時、今では数時間待ちがデフォルトになってしまった人気ハンバーグ店「さわやか」は「
もう自分の割り当ては食べ切った」と未練を切り捨てているわけです。
沼津で途中下車。アニメ『ラブライブ!サンシャイン』の舞台ともなった現地の駅は

1月1日が誕生日にあたる生徒会長ダイヤさんのお祝い仕様。

熱心なファンは沼津に移り住んだというくらい、この種の「聖地」では成功した事例だと思いますが、僕は巡礼までする体力はなく昔から現地で親しまれている地元パン「のっぽ」購入で済ませました。細長いコッペパンにクリームを挟んだ、ヤマザキの「ナイススティック」と同形状の菓子パンですが、ナイススティックや、あと細長ロールケーキの「ロールちゃん」がどんどんシュリンクしていった中、「のっぽ」は変わらぬ長さを保持しているように思えます。駅のキヨスクで基本のクリームほか常時5種類くらいのフレーバーが売られていて、今回はクリームのほかにアニメの面々がプリントされた期間限定の「みかん」を買いました。リーダーの千歌ちゃん(髪がみかん色の子)が地元のみかん大好きという設定です。

時間調整で途中下車した浜松(オルゴール記念館をリコメンドいただいた事があったけど、これは果たせないかもなぁ…)駅構内の、かわいらしい「広告募集中」の広告。

駅から駅の間に楽しい眺めはいくらでもあるので(本を読んでたり眠ってたりで見落としがちでもある)鉄道の旅というのも貧相といえば貧相だなという気持ちはないでもない。とは言うものの電車は進む。豊橋は一昨年、東京で仕事が終わったあと18きっぷで名古屋まで到達できないので漫画喫茶一泊の宿に選んださい(
だから旅行はエクストリーム・スポーツじゃねいんだぞと)放映予定のアニメの立て看やらポスターやらがバンバン展開されてて(ちょっと面白そうだし当たるといいね)と思ってたら、聖地として成功したかは不詳なれどアニメ自体は大ヒットした『負けヒロインが多すぎる』通称マケインの舞台でした。ずっと昔からこの駅では、乗り継ぎのついでに「あんまき」を買ってます。自分が好きなのは、あんと一緒にクリームチーズ(チーズクリーム?)を巻き込んだチーズあんまき250円。
4b)名古屋・大須で団子を食べる/鶴舞公園を散策する/林さんが憑依する
かれこれするうち名古屋に到着。まずは昔ながらのアーケード商店街・大須へ。元々は「名古屋の浅草(庶民的な門前町)」だった印象が「名古屋のアキバ(電気とオタク)」を経て「名古屋のアメ横」に??前に来た時より食のエスニック化が加速してる印象。料理店もだけど、アジアン食材店が増えた気がして、個人的には良かれと思う。そうした食材を需要する外国ルーツの人たちが増えただけでなく、日本ルーツでもアジアの食材が身近になると生活の可能性がグンと広がるはず。
でも今回の目的は新雀本店ひとつ。一本100円の串団子、いわゆる「みたらし」だけど甘味のない醤油味は無二とまでは言わないけれど(別に各地でみたらし見るたび食べてるわけではないので)少なくとも随一を名乗ってよさそうな一品。

ここから以前ネットで「名古屋では鶴舞公園がいいよ」と読んだことのある場所まで30分ほど歩くつもりが

ふだんなら何とも思わない景色にとつぜん魅了されてしまう
旅先マジックがここで発動。
東京・神田あたりでよく見かける、二階建てくらいの小さな商店がファサード(前面)が銅板ですっかり緑青色になった通称「看板建築」は間違いなく日本近代建築史(あるいは路上観察学)のトピックを成す特色ある様式なんだけど、慣れきってしまったせいか手元にパッと出せる写真がない。気になるひとは各自で調べてほしいのですが

大須から鶴舞に向かう大通り・上前津駅の近辺で見かけたこの建物は、見たところどうにもコンクリとしか思えないのに全体・とくに前面が緑青みたいな青緑になってて不思議。隣接してる神社の、こちらは銅葺きの真緑に合わせてでもいるのだろうか?
「記念橋」って何の記念よ?と後で確認したら「明治43年に鶴舞公園で開かれた共進会のため道路が新設されたのに伴い、名古屋初の鉄石混合橋が掛けられた」という記述を発見。
・
関西府県連合共進会に向けて 記念橋(伊藤正博「名古屋歴史ワンダーランド」24.6.16/外部リンクが開きます)
共進会・道路・橋そのもの、何を記念したかは未だ不明ですが何となく満足。
しかし記念橋も緑青色のコンクリも、旅先ハイでなくてもカメラを向け、知りたくなるもの(
個人差があります)。「あ、これは旅先で(あるいは5時間睡眠の朝3時半起きで)気が変になってる!」と自覚したのは、マンホールのふた研究家(そういうひとがいるのです)の
林丈二さんが憑依したかのように路上のフタ写真を片っ端から撮りたくなった時でした。
そもそも人が入れないような小さなフタを「マンホールの」と呼んでいいのか分からないけれど、まずは「ガス」。ここから全てが始まった。

タイプ「八」。地元の有力企業か。八丁味噌との関係は不明。

ボルト/ナットのような六角形を六角状に敷き詰めたデザインも特徴的。文字でないロゴは「シドニーオペラハウス」と仮称しておきます。

デザインは違えど(あ、でも金属の外枠の中にアスファルトなりセメントなりを中心のロゴだけ残して敷き詰めるコンセプトは一緒なのか)真ん中のロゴは同じで、たぶん電気の「電」の下半分がモチーフ。
水の波紋にアメンボが刻まれた水道局のマンホールは、マニアでなくても見覚えある名古屋のシンボルなのだけど(
個人差があります)歩るってく途中で横切った工事現場が

「あーキミ!そっか!水道局の工事な!!」と一目で分かって面白かった。
ガス、電気、水道と来たら電話なんだけど、おっと懐かしい電電公社。

ロゴのまわりを取り囲む滑り止めの模様がTの字を組み合わせていて(テレホン&テレグラム?)それで中央のロゴマーク自体もTふたつをギュッと丸めて循環する輪にしたデザインだったのだと気づかされる。
上水(ここをふだん飲む水が通ってるわけですね)には仕切弁とソフト弁があるらしいのも気づきだった。よく見ると両方とも(上でも見た)マル八のロゴがある。

下の二つは用途不明だが、左の舵輪を模したように見えるのは水関係、右も真ん中の星形の中にギリシャ神話に出てきそうな海ヘビっぽいのが刻まれてる事からして、やはり水関係なのだろうか。右の海ヘビ(仮)マンホール、周りの滑り止め模様も真ん中の星形も同じパーツ(滑り止めは大小の四角・星形は大小の十字星形)を組み合わせた模様でかなり凝っている。そしてよく見ると「ブロックV」なる文言が←これは検索しても分かりませんでした。

色々と見た中で芸術点が一番高かった小さなフタはアブストラクト。どの方向から見るのが正解かすら分からない。

そして一番(旅先ハイで)笑ったのは、十分に人が入れるマル「警」マンホール。コレに警官が潜んでてイザという時はヌッと出てきたり、上からガンガン蹴ったら「やめーっ公務試行妨害で逮捕するぞーっ」と怒られたり、あるいはこの中(というか底)が繋がってて『第三の男』みたいな追跡劇を繰り広げてるかと(
ねーよ)想像すれば可笑しいけれど

実はそんなに可笑しくない。ちょうど旅先読書で1920年代ソ連で書かれたディストピア小説を読んでたせいもあり、マル警のロゴを囲んだ滑り止めの模様も管理社会を象徴するミツバチの巣に見えてくるのでした。くわばらくわばら。
都市論の好著として何度も引き合いに出している
矢部史郎『夢みる名古屋』(
21年2月の日記参照)で名古屋が人間性より生産性を優先して造られた都市である(悪名高い「排除ベンチ」も名古屋で最初に生まれたという)象徴として提示されていた、人が渡るには横幅が広すぎる車道。特に真上に高速を通したため設けられた無情に広い中央分離帯が非人間性の最たる感じなのだけど

そこに強引に人間性が乱入してくるのも名古屋かも。
鶴舞公園を散策してきました。

やー良かった。いい具合に閑散とした真冬の公園。何処か園内の会場からアイドルのステージらしき歌声と、それを圧するような野太い「オタ芸」のコール。君たち、なんというか、ひとを愛でたり愛したりする方法を根本から間違えてる(かも知れない)ことが雄弁に示されちゃってるの、分かってるのかなあ…まあそういうのが楽しい時期もあるんだろうけど、それで「女性に愛されないのは不当だ」はねーべ。

映える田楽セット(税込み千円也)をいただいて、

次なる未練=名古屋港水族館に向かいます。(この項つづく)
25年冬旅行〜旅おさめ編(中)(26.01.12)
【
まずは余談】
前回の日記(週記)や
昨年暮れ・小石川植物園の探訪記で書いたように、旅先や特別な施設など非日常的な場所に身を置くことは、実は日常生活でも見慣れている(が日常を滞りなく進行させるためスルーしている)事物を新鮮な感覚で見直させる。その賦活された注意力は元の日常に戻ってからも持続するらしい。
旅先の名古屋で「これは懐かしい」と喜んでいた旧・電電公社の鉄蓋、旅から帰ってみれば東京でも横浜でも珍しくなかった。しかし異郷を訪うまで、その存在に気づきもしなかったのだ。

そして賦活した目で周囲を見回すと、数十年暮らしてきた横浜の街では、横長の菱形の真ん中に水平線が入った(絵で描く)正面から見た鳥のクチバシみたいなロゴマークが、地上の蓋に頻出してることに気づく。

要は横浜市の市のマークなのですが、上下水道を中心に電気も何も、見回せばこの菱形マークばかり。

まあソレだけなら驚かないかも知れないけれど、数十年も暮らしながら全く意識してなかった、道路脇にある水を流す側溝のフタ(グレーチング)まで、よく見ると…こんなん
側溝からピエロが出てくる並みに怖いわ!!!

道路の端々にある境界標も菱形マークだ。そのうち周囲にある全てが市のマークに見えてきて、これが栓をしたラッパのマーク(トリステロのマーク)だったら陰謀論をテーマにした
トマス・ピンチョンの小説『競売ナンバー49の叫び』じゃないですか。
いや、もう今の世代の皆様の常識ではないんだろうけど(今ネットで「トリステロ」「トライステロ」を検索しても
逆に何かの陰謀で消されたんじゃないかってくらい『競売ナンバー…』の秘密結社のトピックはかすりもしない。昔はすっごい有名だったんですよ?)

…人間が日々、想像力を手加減している(させられている)のには、こうした
在りもしないモノまで見えてしまうのを避ける意味合いもあるのだろう。賦活され、鋭敏になった感覚が捉える「真実」が妄想や幻覚でない保証も、またないのだ。
* * *
4c)名古屋港水族館を見納め(?)る
と、その前に、たぶん名古屋港水族館とは関係ない(
絶対ない)けど名古屋港駅に向かう地下鉄で見かけた「シャークヤくん」。これは旅先ハイじゃなくても手加減なしで撮ってたと思う。

金町駅から地下鉄で10分・終点の名古屋港駅から歩いて5分。名古屋港水族館は国内でもトップクラスの人気水族館だ。こんなの前からあったっけ、というエントランスの先には軽食やレストラン・地元物産店などが入った別棟の建物があって、その横を抜けると本命の水族館が現われる。港を挟んで対岸にある南極観測船も見ものだけど今回は割愛。

水族館の前にシャークヤくん、その前に横浜のマンホールと、もったいぶるかのように前置きが続いて申し訳ないが、もうひとつだけ。上の画像の丸で囲んだ部分。1時・2時・3時…と定時を知らせる「からくり時計」を見ないと、名古屋港水族館に行った気がしない(
と思ってるのは自分だけみたいで、ほぼ完全にスルーされてるみたいです)。
まして始まる前からスマートフォンを掲げて、逐一撮影する酔狂は。まあ観るがよろしい。音が出ます注意。
(動画を動かせないときは右クリックで「コントロールパネルを表示」を選んでください)
(
iPhoneだと再生できない=画面に動画じたい表示されない事象が発生しています)
(とりあえず
Instagramにも動画を上げておきました。外部リンクが開きます)
貝殻を現代美術ふうに抽象化したような金属の半球が開くと、亀に乗った浦島太郎が音楽とともに登場。ひとしきり手を振った後、玉手箱の煙に包まれたかと思うと一瞬にして老爺に変身(この変顔の仕組み、今回はじめてキチンと確認できて地味に嬉しい)
そのままスゴスゴと引き下がりフタが閉じておしまい。このあっけなさが、たまらないと言えばたまらない…
マニアックな前菜は別として、名古屋港水族館の本当の見ものはイルカ水槽。
シャチやベル−ガ(白イルカ)も居るし、2階ではイルカショーも実施されてるのだけど、その1階=つまり水面下のプール側面がまるまる強化窓ごしに眺められるようになっていて、芸もプログラムもなく好きに泳ぎまわるイルカを床に座って延々眺めてられる、最高のチルアウト空間なのでした。今回は全景を撮った写真がミスで消えてしまったので過去の画像を再掲しますが、いや画像が残らなくてもいいくらい堪能しました。なんなら20分くらい。

後はもう、ふつうに水族館ですよ。ちょっと「映え」はしないのでココでは紹介できない深海生物とか、相変わらず好かった。

なんだかんだで睡眠不足でもあったし、順路のどこかでクラゲを見落としたかな、見たかったんだけどな…と思ったら、順路の最後に「名残を惜しむ」からの命名か「
くらげ なごりうむ」という専門ルームが用意されてて
分かってるよ…あんたたち分かってるよ…!

再び屋外へと退場し「そうそう君たち」と再会したのは親子…ではなく(2000万年前の化石で発見された)世界最大のペンギンと(現存する)世界最小のペンギンが向き合ったブロンズ像。いい具合に日も暮れて、名古屋港ともお別れです。

入ってくる時に横を通りながら気になった変わり鯛焼きは、鯛焼きの間にアイスやホイップクリーム、あるいはハンバーグや海老フライを挟んでいるというもの。500円なら思い出としては適価だし関心もあったけど、この日は夕食の前に腹をふくらましてはいけない事情があった。そう、今回名古屋に来たからには果たしておきたい目的のひとつ・味仙の酢豚が待っていたのです。

(そしてこの名古屋での食べそびれは翌日、京都で取り返すことになる)
4d)味仙本店で酢豚と台湾ラーメンを食べる
「名古屋の台湾ラーメン」場合によっては「名古屋の台湾ラーメン・アメリカン」としてネタにされがちな台湾ラーメン。そこから派生して台湾まぜ麺とか台湾まぜ飯とか、要は「辛口ミンチをトッピングしたら台湾」という
誤解がまかり通っているのだけど(現実の台湾にそういう料理はたぶんない)(逆に台湾に「日式(日本流)台湾○○」が持ちこまれ「これがww台湾www」と笑われる日を楽しみにしている)事実として元祖にあたる名古屋・味仙の台湾ラーメンは旨い。
まず東京だと神田に「のれん分け」した味仙があります。そして名古屋駅の構内にも支店があるけど混んでそうで入ったことはない。他の支店はよく知りません。自分にとって味仙は(神田と)矢場町にある支店・今池の本店になります。
今回は夕方しか開いてない今池本店へ。ここの酢豚はパイナップルはもちろんタマネギ・ピーマン・人参も入ってない
ある種の酢豚好きには夢のような肉だけの酢豚で、もう一度これを食べておきたかった。

矢場店の台湾ラーメンはスープが透き通った感じ(神田店もこちらを踏襲してるっぽい)だけど、今池本店のスープは紅く濁った感じで少し酸味があるんですよね。初めて食べた頃は赤く浮かんだトウガラシをまめに拾って除けていたけど、この晩は一緒に構わずすすりこめた。そして酢豚。
吾が生涯に悔いなし!と思っていたら、隣で炒飯とビールをキメていたお兄さんが
「追加でアサリラーメンお願いします」あ、アサリラーメンだとぉ!?(to be continued...)
ま、(to be continued...)は冗談として、昼も夜も開いてる矢場店のほうで台湾ラーメンのミンチ肉がホルモンに置き換わった(そして変わらず辛い)ホルモンラーメンを食べたことがあって、あれも美味しかったですね…矢場店の酢豚は刻みネギと生の刻みニンニクが薬味でドッサリかかってコレまた旨辛く「美味しいけど味仙の酢豚に求めてるのはコレじゃない…」と思ったのでした。でも、あれはあれで食べたくなる味。神田店にあったかしら。左から矢場店の台湾ラーメン・ホルモンラーメン・酢豚の画像を載せておきます。

味仙の台湾ラーメン(ホルモンラーメンも)は器が小ぶりで、他の料理と合わせやすいのが台湾ぽいなーと思ってます。丼ひとつにガッツリ盛って完結させる日本式のラーメンや丼物とは別の文化。
4e)名古屋で「すがきや」のラーメンを食べる・その他
台湾ラーメン(神田でも食べられる)の他にもうひとつ、名古屋で食べておきたかったラーメンがあって、まあインスタントでは全国で手に入るだろう「すがきや」のラーメン。20年以上も名古屋に足を運んでおきながら、実はキチンと食べたことがなかった。一度くらいは食べておかないと名古屋に申し訳が立たないのではないか。食べました。
(ハシゴではありません。別の日に行ってます)

…
まあふつうでした。そもそも、すごい味を期待するものでもないでしょう。老若男女お子さまでも食べやすい柔らかな麺、あっさりめのとんこつスープ、ちょっとおやつの代わりに的なイメージなんかな。中高生の放課後を中高年が(←
つまらん)お裾分けでいただいた感じでした。
* * *
実際には車道いっぽん隔ててるんだけど、名古屋駅から歩いていくとロエベ(
ローウィーじゃなかった)→カルティエ→クリスチャン・ディオール→ルイ・ヴィトンといった高級ブランド・ショップの連なりに

(質屋の)コメ兵が同じ並びみたいにシレッと隣り合ってるように見えるの

今の日本の何ごとかを象徴するみたいで、著しく批評性が高い現代美術のインスタレーションかと思た。
他の大きな街と同様、ドラスティックに変わる部分と、あまり変わらない(でもじわじわと変わってる)部分を併せ持つ名古屋。ド派手に変貌した駅向かいの高級ショップ(+コメ兵)の並びとは対照的に、駅側で変わらぬ姿を見せる名鉄セブンの≒名古屋駅のシンボル「ナナちゃん人形」。でも行くたび替わってる衣装が今回は服が動画や広告を映し出すディスプレイになってて『三体』とか『荒潮』みたいな中国のSF小説みたいでした。

それにしても、名古屋駅のツインタワーって、いつからトリプルタワーになったんでしょう?
(この項つづく)
仮説〜茨木のり子「敵について」(26.01.13)
昨秋、思う処あって手にした岩波文庫の『茨木のり子詩集』に「敵について」という詩があった。
全文は引用できないので端折るが、詩の中で詩人(茨木)が
「私の敵はどこにいるの?」と問いかけると、誰かの声がすかさず応じる。
「君の敵はそれです 君の敵はあれです」「間違いなくこれです」
どうもあなたが言うのは私が求める敵と違う気がすると躊躇う詩人を誰かの声は叱責する。
「まだわからないのですか」「なまけもの 君は生涯敵に会えない」
それに対して詩人は叫ぶ。
「いいえ邂逅の瞬間がある!私の爪も歯も耳も手足も髪も逆だって」
「私の敵! と叫ぶことのできる ひとつの出会いがきっと ある」
思慮深い詩人が敵と邂逅できたかは不明だが、軽率で怒りっぽい僕はすぐカッとなっては「敵!」を作ってきた気がする。細かいのは措く。政治家で僕が、それこそ出会うや敵認定したのはジョージ・ウォーカー・ブッシュ(子のほう)、橋下徹、そして安倍晋三の三人だった気がする。細かい経緯は省くけれど、その存在を知るのと「あ、敵」と直感するのが、ほぼ同時だったと思う。その直感は裏切られることなく、三人はそれぞれ僕が最も敵愾心を燃やすような所業を重ねていった。
無論そこから逆算して「ああ最初から敵だと思ってた」と自分の記憶を潤色している可能性はあるが、それも措く。
何が言いたいかというと、この三人を出会うなり「敵!」と直感した・感覚や感情で反発したのと比べると、三人それぞれの後に出たアメリカだったらドナルド・トランプ、維新だったら後を継いだ大阪市長や府知事たち、そして現在の高市早苗首相などに対して、実は「私の」敵!という強烈な感情は、なぜか湧き起こってない気がする。
もちろん、それぞれの所業には反対している。けれどその反対はどうもしばしば「理性的に考えてありえないから怒ってる」「怒るのが市民の責務だから怒ってる」もので、たとえば安倍晋三の安保法制や共謀罪に反対するため多い時は週に何日も国会前に足を運び、安保法制反対の集会が国会前に一番ひとを集めた時には同人誌の即売会とバッティングしていたため参加を断念したかわり、即売会が終わった足で夕方からやっていた「安保法制に反対する男の娘のデモ」という二十人くらいの小さなデモにくっついて歩いたりすらした(実際には男の娘、というよりふつうに異性装の方々が主導するデモだったけど「一般参加」も可能で、和やかな好いデモだった)、あの異様な熱情を、実は今の高市首相にたいしては持てないでいるのだ。
ブッシュ、橋下、安倍(あ、今さらですが敬称略)―彼らが携えてきた「今まで見たことのないタイプの無神経な邪悪さ」が、その後継者を前にしても「あ、それは前にもう見た」となってしまうのだろうか。
ともあれ、繰り返しになるが、話をしぼると安倍晋三という存在にたいして持っていた「私の敵!」という敵愾心を、しょうじき僕は高市早苗首相に対して「理性的に考えて不適当だから」「ここで怒るのが視認としての責務だから」と理屈から入らないと持てていない気がする。
つまり、言いたいことはこうだ:
もっと高市政権に怒るべきなのに今ひとつ煮え切れない理由を、僕は自分について上記のように自己分析するのだけど、
どうしてあなた(たち)は高市政権に対して、もっと怒りを表明してないの?
お前が見てないだけど日々怒りを表明しているぞ、というお怒りも当然あるだろう。そうあってほしい。
でも反面、それこそ異性装の人たち(男の娘)まで安保法制反対のためにはデモを主催した、あれほどの反発のうねりが、高市政権に対して巻き起こってない(ように見える)のは、どうしてなのだろう。
愛想が尽き果てたのか。自分の生活で精一杯なのだろうか。皆を糾合する組織がなくなってしまったせいだろうか。別に怒るほどじゃないと思われているのだろうか。なんなら高市首相、悪くないじゃんと満足されているのだろうか。
あの時、まがりなりにも国会前の警備を「決壊」させ、車道に溢れた人たちは、皆どこに行ってしまったのだろう?

今は反抗のしかたが違うんだ、もっと効果的にやってるんだと誰か教えてくれる人はいるのだろうか?
軽率な僕よりずっと思慮深い詩人は言う。
「我がことのみに無我夢中
舌ばかりほの赤くくるくると空転し
どう言いくるめようか
どう圧倒してやろうか
だが
どうして言葉たり得よう
他のものを じっと
受けとめる力がなければ」
(茨木のり子「聴く力」)
あなた(たち)の言葉を聴きたいのかも知れない。
職場でも、街角でも、昼食に入ったレストランでも、SNSでも、誰もが如何に自分が正しくて他の誰かが悪いか言い募っている。そういう言葉じゃなくて。
僕は僕の事情を話した。聴かせてほしい。どうしてあなたは声をあげるのを、やめてしまったのか。やめてない人は、どうしてそこに立ちつづけていられるのか。
(まあ実際は応答なんて期待してないし、本当に聞かされたら受け止められなくて逃げ出しそうな気もするけど)(この文章自体すぐ撤回して消すかも知れません)
*** *** ***
同日追記:今の日本の政党政治の「終焉かな?」てグダグダぶり、岩波新書の村上信一郎『ベルルスコーニの時代』や、それこそマルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』みたいにコンパクトに・かつガッツリまとめた本が出てもいいかなと思う。もしかしたら外国の著者の手で。他山の石に。
25年冬旅行〜旅おさめ編(後)(26.01.18)
基本的に撮り鉄でも乗り鉄でもなく強いて言うなら読み鉄(長い小説や分厚い本などを心地いい車内でじっくり読む)な自分が、ちょっと路線の開拓にも関心が出たのは、前にも少し書いたけど(
24年7月の日記参照)北陸新幹線の運行開始により、それまで北陸の都・金沢に行くのに
(1)横浜から中央線で長野を経由→日本海に出て(木曽の山中では駅のキヨスクで「おやき」を売ってるのが日本海に出た途端「とろろ巻きおにぎり」に変わるのが鮮やかだった)金沢に到達するJR普通列車のルートがまず廃止され、プランBだった
(2)横浜から東海道線で太平洋沿いに名古屋に行き、さらに米原から南の京都に向かうのでなく北上して金沢に至るルートも米原-金沢間も新幹線が開業、18きっぷでは金沢に行けなくなったよとボヤいていたら、岐阜出身の父に
「(3)岐阜から高山本線で飛騨の山中を通って富山までは行けるんじゃないか」と示唆を受け、実際に行けた(富山-金沢間は第三セクター)経験が大きかったかも知れない。ジョルダン(路線検索サービス)で出発地と目的地(横浜-金沢)をつないだだけでは、サジェストされないルートがあると知った。

そして、カンのいい人なら地図を見て気がつくのではないだろうか。横浜から山梨(甲府)や長野(松本)に向かうルートと、静岡を経由して名古屋に向かうルートはY字のようにかけ離れているけれど、名古屋と長野方面を最短で結ぶルートもあるんじゃないのか。
はい、ありました。まず東海道ルートで名古屋に遊び、名古屋から塩尻に・さらに北上して松本に向かうルートが。

今回の旅行の大きな目的のひとつが、この名古屋→(塩尻→)松本ルートを試してみることでした。でもその前に、名古屋から西=奈良に向かいます。
4f)奈良で大仏を拝む・うどんを食べる
名古屋から奈良に向かうルートも、東海道線に慣れてると京都まで行って(そのまま大阪方面に向かうのではなく)京都から南下と考えてしまいがちですが、調べたら名古屋と奈良を結ぶルートが。往路こちらを利用してみました。

名古屋→京都を結ぶ東海道線ルートでは岐阜や近江八幡・少し北に逸れた長浜もそれぞれ面白い町だったと思います。名古屋→奈良を直に結ぶルートでは(けっこう山の中。渓流沿いの味わいあるルートだったような、本ばかり読んでいたような…)奈良の少し手前・笠地(京都府)は川沿いの駅の真ん前に大きなキャンプ場があって、テントやキャンピング・カーが林立してて面白かったです。
でも写真とかは取りそこねた。
写真はいきなりJR奈良駅から徒歩30分・興福寺に飛びます。まあ御覧ください。

そもそも訪問目的ではなかったので好いのですが国宝の五重塔はスッポリとカバーをかぶって修理中。手前の空き地は南大門の跡地らしく「あった頃の様子をバーチャルで体験!」とQRコードつきの立て看が。まあ好いでしょう。興福寺といえば阿修羅像ですが、それも前に見てるのでパス。
今回の「心残り」は、その「前に阿修羅像を見てる」時「まあ修学旅行で拝んだし今回はいいかあ」とパスした東大寺の毘盧遮那仏・いわゆる奈良の大仏。この日は撮ったはずの写真が何枚か何割か手順ミスで消えてしまい、正面からの画像が残ってなくて大仏の側面やら背面やらだけ撮ってる変なひとみたいだけど、まあ写真を撮るために行ったわけじゃないからいいんです。

奈良公園で鹿も沢山みました。
外国人観光客が鹿を蹴っているというデマを吹聴して総理になった人物に喝采する、菩薩も如来も見放すようなこの国で鹿たちは蹴られもせずに吾がもの顔でした。マネが奈良に住んでたら、草上でくつろぐ紳士たちに裸婦ではなく鹿をはべらせたことでしょう。

この旅行に出る少し前に読んだエッセイで、学生時代の吉田健一は奈良に通いつめて仏像を拝んではうどんを食べていたという少し意外な話があって、もちろん戦前くらいの風情と今とでは大違いだろうけど、せっかくだしと今の奈良で少し流行っているらしい大阪発祥かすうどんを食す(
写真は残っていません)
東大寺からだって少し歩けば春日大社に正倉院・他にも法隆寺だの何だのあるのは分かってますが、それこそ数日かけられるわけでもなく(
そういう意味で日を開けた使用ができなくなった18きっぷ本当に改悪でしかない)今回は東大寺の心残りだけ済ませて、そそくさと京都に向かいます。
* * *
4g)京都で海老フライパフェを食べる・三十三間堂を拝む
さて、
前回(前々回)で、後に味仙が控えていたため名古屋港水族館エントランスの「エビフライたいやき」を食べそびれた話をして、こう書いた:
(そしてこの名古屋での食べそびれは翌日、京都で取り返すことになる)
大仏を拝んで、うどんを食べて、早々に奈良を立ち去って(いちおう言っておくとJR奈良駅から興福寺・奈良公園・東大寺と連なる昔からの観光客向け参道など十分に楽しみました)京都へ。地下鉄で三条に上って、ここでの目的は…
喫茶「からふね」の海老フライパフェ。あ、馬鹿だコイツと思ってますね?食べ物でボケる馬鹿だと?
でも聞いてくれ。6年前おなじように「海老フライパフェ…流石にない」と日和って胡麻パフェに逃げた結果「逃げるんじゃなかった」と後悔したのだ。

パフェだけで数十のメニューを誇る同店には他にハンバーグ・パフェやアメリカンドッグ・パフェなどもあるけれど、ここは迷わず海老フライパフェ。ソースとタルタルソースがついた細身の海老フライ(カリカリの揚がりっぷりでした)が二本直立する裾野にはディッシャーで丸く刳(く)り抜かれたアイスが三種。いずれも柑橘系シャーベット・あるいはヨーグルトと酸味が効いてて、正直に言おう、
酸味と海老フライは絶望的に合いません。これは名古屋の「抹茶スパゲッティ」(昔お店に連れてってもらって、一口くらいは食べた気がする)と同系列の大失敗か?と思った矢先、直立海老フライを支える山=求肥に包まれた
ふつうのバニラアイスと一緒ならふつうに甘じょっぱく食べられると発見。やー、セーフセーフ。
気は済みました。まあ何度もリピートしないと気が済まないモノでもなくて良かったです。
てゆうか京都三条には、かつてネタどころではない「京はやしや」の抹茶パフェというリピート不可避な逸品があって、同店が肝心の京都から撤退・いま自分が住んでる横浜に逆に支店があるんだけど三条で食べたオリジナルの抹茶パフェとは趣が違って…と思っていたら2024年に京都四条に京都店が復活したとか(
いま知った)。
・
老舗茶舗 京はやしや京都店|創業270年の京はやしやが再び京都に(公式/24.7.12/外部リンクが開きます)
「現在では、各店舗ごとにオリジナルアレンジを加えて提供しています」とあるから復活した京都店(四条店?)のパフェも、自分が好きだった三条店のそれとは微妙に違うのかも知れない。ともあれ、事前に知ってたら煩悶したことでしょう(とても、とても馬鹿みたいな「パフェのハシゴ」をしていた?)
しかし知らなかったので三条から四条へと南下・碁盤の目のような京都の道を東に折れ、鴨川を渡って川沿いに再び南下・七条の三十三間堂をめざします。京都に何度も足を運んで「久しぶりに三十三間堂も…ま、(駅チカで)いつでも行けそうだし次にするか」で実は修学旅行以来、先延ばし・先延ばしにしていた三十三間堂です。
いちおう旅おさめ(でも後悔しないよう未練をつぶしていく旅行)の体裁ゆえ
「退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らず さよなら京都」という名歌が頭をよぎる。名所旧跡でなくても、何度も歩いた鴨川沿いの道もまた忘れがたい旅情の地です。
途中、狛犬ならぬ狛イノシシが門前を守る寺社に遭遇。「京都 イノシシ」で検索すると上京区の護王神社が京都「唯一の」いのしし神社として出てくるんだけど、東山区のこれは神社ではなく禅寺。
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摩利支尊天堂(KYOTO DESIGN/外部リンクが開きます)
哲学の道には狛ねずみ・狛うさぎなど雑居する不思議な神社があったけど、あすこにイノシシは居たかしら。話を戻すと亥は摩利支天の使いということで、亥年生まれの人の信仰を集めているのだとか。よく見ると狛イノシシの足元に小さなイノシシが多数ご寄進されており愛らしいこと。やっぱり京都は面白い。

三十三間堂は三十三間堂でした。もう少し時間があって、もう少し人が少なければ、違う感慨もあった気はしますが、まあ自分もその多すぎる観光客の一人なので仕方がない。まあちょっとシンメトリーみたいで面白かったです。
4h)ビジネスホテルで朝食バイキングを食べる(はずが)
そんなわけで奈良・京都を周遊して名古屋に戻り、(今回の冒頭に述べたとおり)次は名古屋から塩尻・ひいては松本へと向かうわけだが、少しでも塩尻に近づいておいたほうが翌日の時間を稼げる。
理由(すぐ分かる)あって具体的な駅名の特定は避けるが

最高気温の話題でよく名前を耳にする多治見・中央高速道のサービスエリアがある恵那・フォークコンサートの聖地だった(気がする)中津川…などは既に岐阜県に属している。実は父は土岐市の出身で「そんじゃ学生時代なんかは岐阜に遊びに行ってたの」と問うと「
名古屋のほうが近かった」なるほど、たしかに多治見から岐阜に直に向かうルートもあるけれど、名古屋行き路線のほうが本数も多そうだ。ちなみに先に挙げてる(名古屋市内)の鶴舞や今池も、この多治見と名古屋をつなぐ路線上にある。
ともあれ岐阜の某所でビジネスホテルに一泊。「お夜食に」とカップ麺のサービスがあり、さらに階上のラウンジにはお茶菓子も用意されてた(疲れてたのでそちらは試さなかったが)と至れり尽くせりの宿。さらに今回はビュッフェ形式の朝食も予約していて、朝6時半にいそいそ食堂へ。
早速お盆に大皿と小皿を載せ、まずはキンピラごぼうと卵焼き、ソーセージを2本。レタスのサラダはパスしていいだろう、次は焼きサバの切り身を二つ取って、いよいよメインへ…
コレで終わり?後は海苔と納豆とお味噌汁、そ、そうですか…ごはんにたくあんを載せて、あ、はい、熱いお茶もいただきます…何処の宿か特定を避けた理由がお分かりでしょう。いや、なんかもっとあの、透明のフタの中に湯気った水滴がついてるキャセロールとか期待しすぎた自分が悪かった、悪かった自分の恥ずかしい朝食を見てくれ(載っけるものがない小皿は、同じく載せるものがなく半分以上スペースが空いてしまった大皿の上に置きました…)

でも某市某駅(そして某宿)の名誉のために言うと、冷えこむ12月早朝の駅のホームには駅員さんだか近隣の有志さんだかがベンチに椅子用の座布団を用意されてて、本当にホスピタリティ溢れる、いい町だったんだと思います…
4i)松本でたぬきケーキを食べそこねる・大豆ミートを買いそびれる・隠れ名物(牛丼)を食べそびれる
早朝に岐阜県を出た電車は順調に長野県へ。塩尻を経由して松本駅に降り立つ。
まずは1階の洋菓子店で買ったケーキを2階の喫茶で食べられる翁堂へ。名物たぬきケーキは残念ながら売り切れで、別のケーキを頼んだが教訓:硬い焼き生地を使ったケーキは外で食べるには不向き。うまくフォークで切れずボロボロのぶざまな姿になりがち。コーヒーはトラジャを頼む。おいしい。ほっとする。

実は今回、松本とゆうか長野県に来た目的のひとつは大豆ミート。アメリカ産の大豆を使って長野の会社が作った大豆ミートが、手頃な価格で使い勝手もよく重宝していたのが、取り扱っていた横浜中華街の物産店が(何十年も老舗だったので、まさかの)閉店してしまって、あわよくば地元・長野県でなら手に入るのではないかと甘い見通しがあったと思し召せ…
…まあ結論から言うと
甘々のアンマミーア、事前に十分なリサーチもせず(する時間がなかった)飛び込みで良い結果が出るわけもない。年が明けた今になってローカルスーパー評論家として名高い(?)ジェーン・スーさんが長野ローカルのスーパーを取り上げた記事を読んだけれど後のカーニバル。
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長野駅前にツルヤを作れ! 自分の良さは他人の方が案外知っている ジェーン・スーさん長野で語る(上)(信濃毎日新聞デジタル/26.01.13/外部リンクが開きます)
それはそれとして、実は松本や南松本では昨年あたりデパートやイオンモールなど大型店舗の退店が相次ぎ、先の見通しは決して明るくはないとも仄聞している。4k)あたりで後述するけど、地方の沈下は各地で進行しているようで、そういう意味でも「旅は行けるうちに行っとけ」なのかも知れない。
ちなみに松本駅の繁華街と反対側(西口)には谷椿という昔からの食堂があって、夜の焼き肉とお酒がメインなんだろうか、昼もラーメンとか牛丼とか出していて、この牛丼がスキヤキのように甘辛い肉をことこと煮込んだ昔ながらの絶品牛丼だったんだけど、中のひとの年齢や新型コロナなど鑑みて流石に閉店されたか…とすごすご引き返したが、単に年末休みで「まだ健在」という情報もネットで見かけ、んー、どうなんだろう、僕はあの安くておいしい(そしてアウェイ感でいただくのが少し申し訳なくなる)牛丼を「さわやか」のハンバーグみたいに「自分の分は食べ切っ」てしまったのだろうか、まさかのワンチャンがあるのだろうか。
この日の松本では翁堂のケーキの他に駅ビル1階のスーパーで買った「揚だんご(くるみ)」と「すんき蕎麦・ミニ山賊焼きセット」を食べました。すんきは塩をいっさい使わない(山間部の苦労が偲ばれますな)乳酸発酵の酸味が売りの赤かぶの葉の漬け物。
4j)甲府で石屋に入る・まかないカレーを食べる
松本を出て甲府に向かう。小淵沢で少し待ち時間があったので駅舎の屋上展望台に上がる。この旅行中、名古屋・奈良間でも岐阜・塩尻間でも、むろん松本でも、佳い山の眺めには事欠かなかったのだけど、なにしろいい景色がずっと続くので写真に切り抜くことが出来ず食べ物(とマンホール)の写真ばかりだったけど、ここらで美しい景色の写真も見てくれ。

逆光と富士山。

甲府は駅を出て30分ほど北上(
あ、徒歩ね)すると、山梨大学の近くにカピバラという古本屋があって人文系が充実してるんだけど、年末だし開いてない可能性が高いと踏んで断念、駅前をうろうろする。甲府駅、ちょうどホームから見える駅の北側にレンガっぽいクラシカルな店の並びを造ってて、まあ見映えはいいし、いつも車窓から「あー、あの石を使ったアクセサリー屋に入ってみたいなー(ドアが閉まりまーす)」と気にかけてはいたのです。

大晦日に顔を合わせる実家の家族には信玄餅を、自分には件の石屋で水晶の首に巻くやつ(税込880円也)を首尾よく購入。またしても二階でイートインできる洋菓子店で一休みしたのですが、

二度目の教訓:だからフォークで切れずに刻むとボロボロぶざまになるタイプの洋菓子は外で頼むなと言うのだ…
昼の月が窓の外に見えると思ったら、店内の天井灯がガラスに反射してるのがダミーみたいで面白かった。

甲府からは一路ヨコハマへ、と言いたい処だけど八王子で途中下車。いつか描くかも知れない(描かないかも知れない)まんがのために資料写真を撮る。そして今度こそ一路ヨコハマへ、と言いたい処だけど八王子を出て隣・片倉駅(JR横浜線)で途中下車。改札を出てすぐにあるバングラデシュ料理店で「まかないカレー」を食べる。もっとニハリとか「ならでは」の料理を食べてもいいんだけど「まかないカレー」という字面に惹かれてしまうんですよね…挽き肉に根菜の、やさしい味のカレーでした。
4k)そして万代バスカレーを食べる
もういいだろうと思ってるでしょう。自分でも思ってる。この旅行記の最初に「旅行はエクストリーム・スポーツじゃないぞ」と己にツッコミを入れたけれど、
それをこうしてサイト日記にまとめるのも同じくらい疲れると知った。
5日分ある18きっぷ・3日で名古屋・奈良・京都・松本・甲府を回ってヨコハマに帰ってきた。最後の1日分は大晦日に実家に帰るのに使うとして、残り1日分。始発の次の列車で新潟に行って「万代バスカレー」を食べて、すぐさま取って返し、終電の次の列車でヨコハマに帰ってくる。もう一度言う。旅行はエキストリーム・スポーツとは違う。
自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きてるわけじゃない。

同人誌の即売会で毎年のように新潟に来ていた頃は、たいがい前乗りしては食べていた万代バスセンターの立ち食いカレー。よい意味で小麦粉感のある「学校給食のカレーを理想化した」黄色いカレーで、いつからかテレビでも紹介され行列のできるカレーライスに。即売会に出なくなり新潟に来る理由がなくなった今、ひょっとしたら「食べに行こう」と思わなければ二度と食べる機会がないと思い、(ほぼ)これだけのために足を運んでしまった。満足でした。
実は「始発の次」は出遅れによる失敗で、5時半にヨコハマを出た列車は高崎で30分・長岡で小一時間の待ちが生じている(こうして書くと本当に馬鹿だなあ)。高崎はともかく、新潟の少し手前の長岡は、かつて新潟の即売会が新潟市でなく長岡で開催されたことがあり一泊したことがあるのだけれど…想定もしなかった寂れっぷりに驚いてしまった。駅と一体化した建物はスタバやら何やら入って栄えている。けれど駅向かいにあったショッピングセンターは建物の天辺・ふつうなら店舗ロゴ(鳥のマークとか)が入る四角い構造物が真っ白無地になり、数階建てのビルに入ってるテナントは学習塾とカラオケ屋とパチンコ屋だけ。土曜の夕方、ここで雨宿りしながら読んでた本が何だったかすら憶えているのに(
憶えてるなよ)…

対する新潟は、駅が見違えるように巨大化して駅前のバスロータリーも整備され、残酷なほどの差を感じてしまった。こんなふうに地方でも一極集中化が進んでいるのだろうか。
でも冷静に振り返ると、新潟駅もガラリと変わったのは駅舎ばかりで、駅を出て万代橋に向かう道へ一歩踏み出せば、十年一日のように変わらぬ街並みで、事情は長岡とあまり変わらないのかも知れない(つまり新潟−長岡の対照ではなく、巨大化する駅−取り残された駅周辺の対照)…
いやいや、採取データが少なすぎる、分からん、分からんて。自分はついに見届けることがない先のことまで(何しろ変化に終わりはないのだから)含めた、この国の行く末について少し考えてしまった。
そういえば新潟、駅の南側も(たぶん)ほぼ変わってなくて、駅を出てすぐのビックカメラも前のとおり、その先にある丸善ジュンク堂書店も前のとおり(いや…前は丸善がつかないジュンク堂だったかな?とにかく)で、そこで文庫を一冊買って、早足で帰りの電車に飛び乗ったのでした。その(本の)話は次回。
言葉・牢獄・SF〜25年冬旅行・読書編(26.01.25)
0.監獄と言語:ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』
これは旅行に出る直前に読了していた本なのだけど
ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』(黒田寿郎+奴田原睦明訳・河出文庫2017年/外部リンクが開きます)は1072年・36歳で爆殺されたパレスチナ作家の中短篇集。とにかく密出国しないことには家族まるごと餓死してしまう状況でブローカーに騙され、ボラれ、恥辱の辛酸を舐める「太陽の男たち」を筆頭に「
屋根のない監獄」と言われるパレスチナの苦境と、それが既に半世紀前に極まっていたことに打ちのめされる。
だがもうひとつの表題作「ハイファに戻って」は少し趣きが違う。突然の軍の侵攻によって、赤ん坊を置いたまま故郷ハイファを去らざるを得なかった若い夫婦が20余年後ようやく故郷に戻ると、赤子はイスラエル入植者に育てられ、イスラエル人として成人しており…という話だ。
同篇で赤子を引き取ったのは欧州での迫害からやっとの思いで逃げてきたユダヤ人夫婦で、真の屋敷の持ち主が帰って来たらそのまま返そうと、なるべく手つかずで調度品などを保ってきた善意の人たちだ。だが一説では「現在」のイスラエルでは、全くの悪意をもって、パレスチナの子どもたちにイスラエル人としての教育を施し、その出自を忘れさせる洗脳行為が行われている
とも言う。
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大急ぎで言うと、それが事実だという裏取りは出来ていない。ただ事実として、かつて侵略・併合した国や地域に自国語や自国の文化を強制し、それが出来ない児童の首に「方言札」を提げさせる恥辱を与えた先達が20世紀前半の吾が国だったことは忘れがたい。そのことを看過したまま「ハイファに戻って」やカナファーニーの作品を論じることは(あるいは現在の中国がチベットやウイグルで同様の迫害を行なっていると非難する場合でも)著しく誠実さを欠いた姿勢だとは言えないだろうか。
1.言語という牢獄:網野善彦『歴史を考えるヒント』
昨年11月の小ネタで紹介したとおり、東京・大塚に宇野常寛氏が運営している書店があって(人文書がえらい充実している)、
網野善彦『歴史を考えるヒント』(新潮選書→新潮文庫2012年/外部リンク)は、そこの無人レジでピッして購入したものだ(キャッシュレス決済のみなので注意)。
「日本」という国号が使われるようになったのはいつからか検証する(僕なども「たしか足利義満が日本国王を名乗っていたっけ」くらいしか思い当たらなかったけど、実際には中国の歴史書『旧唐書』に「日本国」の記述があるらしい)冒頭から日本列島の歴史を説き直してゆく。
典型的なのは「百姓」だろうか。近代このかた稲作農民と解されてきた「百姓」が文字どおり百の姓(かばね=職業)であったことから、漁労や塩業・織物や工芸・交易や商業で生きる非農業民が社会に占めるウェイトの大きさも、自ずと問い直される。そのほか京都の朝廷と東国の武家政権が並び立つ複合国家であったなど、日本史を刷新した網野史学の入門にも最適な一冊と思われまする。
そう来るか!と思ったのはしかし、我那覇潤氏による文庫解説で(上に挙げた「日本」「百姓」など)言葉を切り口に現代の吾々が過去に投影している通念を問い直す本書は、言語を牢獄に喩えたフーコー・不純物になぞらえたデリダと呼応していると言うのだ。
網野史学とフーコーやデリダ(あと「人が言語をあやつるのでなく、言語が人を規定する」としたらしい
ハイデガー)と同列に捉える、その発想はなかった。
権「利」は権「理」と訳されるべきだったと嘆いたのは中江兆民だっただろうか。
『歴史を考える…』は中世の古文書を見るに、当時は「自由」という言葉に(結婚や職業選択・思想や良心の自由といった)人権としての自由という発想はなく「野盗が自由にのさばっている」というようにルール無視の好き放題みたいな否定的ニュアンスで使われる言葉であったと語る。もしかしたら
自由=野放図・身勝手という古来からの意味は、人権としての自由の主張に対する「(古い意味での)自由=身勝手ばかり主張しおって」的な反発につながり、また逆に現代において「表現の自由」みたいな言葉を野盗的な好き放題と同義に(ばかり)偏向させてははいないだろうか。

英語のフリーダムは中世に権力からの束縛を逃れたことを意味した「無縁」と訳すべきではなかったかと『無縁・公界・楽』の著者でもある網野氏は書いている。
2.よすがと無縁:ジャック・デリダ『歓待について』
そんなわけでデリダ。
この旅行記の最初のほう(
そういえば旅行記でした)で書いた、肉だけ酢豚と台湾ラーメンの味仙本店がある名古屋・今池にはウニタ書房という小さいながら人文書の充実で知られる古参書店があって(大塚の宇野書店とは逆に基本現金払いだったので注意。図書カードは受け付けていた模様)中東問題のコーナーで上述『太陽の男たち・ハイファに帰る』も平積みに並んでいるのを横目で確認しつつ、これまた(後期)デリダ入門に最適と謳われた
アンヌ・デュフールマンテルとの共著
『歓待について』(原著1997年/廣瀬浩司訳1999年→ちくま学芸文庫2018年/外部リンクが開きます)を購入。
共著といっても執筆は別々で、デリダの講義にデュフールマンテルが解説を付した体裁だが、この解説が紹介しているエピソードが今回の日記の文脈的に興味深かった。ユダヤ人として迫害されアメリカに亡命した
ハンナ・アーレントが、ナチスの暴虐を拒否したのにドイツ語を使い続けるのですかという(いささか意地の悪い)質問に、言語は亡命者が捨てられない最後の故郷との絆である・それに
狂っていたのは国家であってドイツ語ではないしと答えた件に、本書とは別の場でデリダは「(国家が正気を逸したとき)(一緒に)
言語が狂うとは考えないの?」とコメントしたという。
もしも国家や社会が言語ごと正気を逸するのであれば、その言語を故郷との最後のよすがとすることは(人としてやむない悲しさはあるが)危険なことではないのか。
というわけで(?)でデリダは、故郷との絆を(言語に至るまで)完全に失なった亡命者=客人と、客人を原則そうした亡命者と見なし「それならば分かった、あなたの故郷も出自も問わない」と受け容れる「無条件の歓待」の可能性・あるいは不可能性を論じる。
今回の日記に関係しないことは一切省略しますが(アンティゴネーとかクロソウスキーとか「あ、読まなきゃ」と思わされる話がいくつも出てくる)、ともあれ、無条件の歓待の対立項として提示されるのは「あなたを受け容れよう、ただし吾が国のルールに従ってもらう」という条件つきの歓待だ。
吾々の社会が客人=異邦人=亡命者を受け容れるやりかたは、まあ後者の「条件つき歓待」になるのだが、米国のICEや日本の入管を見れば明らかなとおり「条件つき」は窮まれば歓待も何もない客人の排除になる。その極限をデリダは哲学者カントが唱えた、受け容れた客人を追って人殺しが来ても「どんな理由であれ嘘は言えない(嘘を許すと社会が壊れてしまうから)」という道徳律に従い客人を引き渡すべしという結論に見る。だが一方で「無条件で客人を受け容れる」歓待のルールは「そのためにどんな自己犠牲も厭わない」旧約聖書のロト書で客人を引き渡せと詰めかけたソドムの住人に(つまりその「客人」はソドムの町を滅ぼすか見極めにきた神の使いだと思うのだが)善人ロトが「私は客人を守らなければいけない、代わりに娘を差し出すので好きにしてくれ」と娘を差し出したという、もう一方の極限・もう一方の地獄(個人的には不可能性と呼びたい)に行き着いてしまう。
もちろん個人的には「何の権利で娘を差し出すんだよ
ロト爺お前が身代わりになれ(お前が塩の柱になれ)」と思うし、同じように「娘を差し出す」地獄を客人のためでなく自身の安寧のために選んだ男たちの実例が、またまた吾が国には(ソ連やアメリカ相手の敗戦時に)あったわけで、そうした男の・家父長制の身勝手については、後述の
ヴァージニア・ウルフがカッツリ告発してくれる。
『歓待について』ではチェコの哲学者
ヤン・パトチカも紹介されており、翌年(つまり今年)こちらを読むことになります(つまり読みました)が、これは別の機会に。
3.牢獄とSF:ザミャーチン『われら』
で、数十年来の宿題だった20年代ソ連のディストピアSF・
ザミャーチンの
『われら』(原著1921年/松下隆志訳・光文社古典新訳文庫2019年/外部リンクが開きます)。やー今生で読めて良かった、面白かったです。
文庫解説に詳らかなんだけど、ハクスリーの『素晴らしい新世界』(
未読/宿題)やオーウェル『一九八四年』に影響を与えたと言われる由。なるほど『一九八四年』のほうは主要キャラのコンポジション(立ち位置)や展開まで随所に似てるなーと得心。また「人に自由は要らない」と主張する独裁者と主人公の対話がドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』大審問官の章を彷彿とさせる…のも解説で先取りされてる通り。
無理して独自色を追加するなら「そうとも自由意志なんて要らないんだ」という極論(と、それを千年後の社会に実装してしまう力業)は、
伊藤計劃『ハーモニー』が好きな人も「もしかして先駆者」と楽しめるのではないかと。

そして、そんな『われら』もイギリスのユーモア作家ジェローム・K・ジェロームの短篇に着想を負っているという解説の指摘が面白い。
名作は孤ならず。ジェローム・K・ジェロームは代表作『ボートの三人男』(未読…というか途中で数十年止まってる)が日本でも評判になった気がするコニー・ウィリスの時間SF『犬は勘定に入れません』の元ネタなので、同じ作家が『われら』にも影響…と思うと面白く思う『犬は勘定に…』のファンも居るのではと御注進。僕は『ボートの…』を読むまではと『犬』も未読なのでした。
あと、これは余談なんだけど『われら』、うがった読み方してると
「地球全土を支配下に収めた〈単一国〉」ホントかぁ?と疑惑が生じてくるのが面白い。街を囲む壁の向こうに、手つかずの森林やら、そこで昔ながらの暮らしをしてる人たちとか、あったり居たりするみたいなんですよ。
4.SFと牢獄:ヴォンダ・マッキンタイア『夢の蛇』
ヴォンダ・マッキンタイアは日本ではSFドラマ『スター・トレック』の二次創作アンソロジーの編纂とか、女の子と愛猫が小型宇宙船で探検に出るジュブナイルSFとか、ハヤカワ文庫では余技みたいな仕事しか紹介されてない感じの(…と思ったけどルイ14世時代の貴族の侍女を主人公にした『太陽の王と月の獣』という前後編の大著が90年代に訳出されていた気が)作家だけれど、アメリカのSF批評家が選ぶヒューゴー賞・ファンが選ぶネビュラ賞を同時受賞した『夢の蛇』(原著1978年)がサンリオ文庫から出ていた(友枝康子訳・1983年)のでした。サンリオ文庫が消滅後、SF最大手のハヤカワにサルベージされなかったのは当時はSFが飽和状態で、かつ、ポスト・アポカリプスの地球=封建制に戻ったような世界での冒険譚が(ファンタジイが本格的に流行るのは90年代以降と思われる日本では)早すぎたせいか。不遇の作品を神保町の古本市で発掘した次第です。
まず近現代の医学が絶滅した世界で、蛇の毒で治癒をほどこす蛇使いという設定が面白い。前にも書いたと思うけどオーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリが主演した映画『第三の男』で第二次世界大戦が終わった直後のウィーンに招かれる、コットン演じる作家は「作家」といってもB級西部劇が専門で、それも主人公が蛇使いなんですよね。「主人公が蛇を操って戦うなんて、よく思いつくな」水で薄めたワクチンでボロ儲けして多くの子供たちを死に至らしめた悪党を退治するのに、彼に協力を依頼したイギリス人の警部が言うのです。「どうやって思いついたんだね」それを若い頃の僕は「つまりあんた、作家なんだろ」「作家が現実の不正を見逃せるのか」という遠回しな責めだと取ったのですが、まあそれ以来(あとはWWEの「コブラ」くらいか)の、蛇なわけです。
・参考:
Santino Marella vs. JTG: WWE Superstars, Sept. 20, 2013(YouTube/
すごくくだらない/外部リンクが開きます)
まあ冗談はさておき。最初はアーシュラ・K・ル=グウィンのように北米の先住民族文化をモチーフにした世界観かと思いきや、ヨーロッパ風というかRPG風というか普遍的(?)な中世風異世界で物語は展開し、それが(もう半世紀前の、しかも日本ではほとんど新規読者の開拓が期待できない作品なので遠慮なくネタを割ってしまいますが)実は中世風封建ポスト・アポカリプス社会の中で、ごく一部の層が進んだ科学を有する異星人と交易して、どうにか世界は崩壊間際で踏みとどまっている。主人公が使う特殊な薬効をもつ蛇も、実は異星人がもたらしたもので―と次第にSFに相応しい世界観が明らかになってくる。この按配はかなり良いです。それに、実はもっと広く、可能性ある世界が、認識レベルで「これだけ」「こういうもの」と制限されている有り様が『われら』や、今週ここまで書いてきた議論と重なるようで面白い。
その一方『夢の蛇』については、異星人が秘匿していた蛇の繁殖法など2026年にも通じるジェンダーへの異議申し立てがあったりして面白い反面、最終的に大体のことが理に落ちてしまう残念さもあって、一流に近い読み物だけど、超一流ではないなーとも思ってしまう。これも以前たぶん書いてることの繰り返しになるけれど、ホラーとSFというジャンルは、見かけとは反対にホラーは全てが理に落ちて割り切れてくれないと(それが「幽霊のしわざ」でも「ゾンビにはなっちゃうものだから仕方ない」でも)スッキリせず、逆にSFは最後に割り切れない残余・世界はもっと広いと「外」を示唆するものがないと面白い「だけ」で終わってしまうように思う。『ニューロマンサー』にも『幼年期の終わり』にも『ハーモニー』にも垣間みえる世界の「外」が『夢の蛇』にはない。いや、人類の世界の外に異星人の世界があるのは確かだけれど「異星人なしでも蛇を増やせる」=外界の手前で引き返してしまう主人公たちの冒険に「よく出来た話」を超えるときめきは得られなかったのが残念といえば残念なのでした。
5.そして牢獄:ヴァージニア・ウルフ『三ギニー』
ちょっと下げちゃって申し訳なかったけれど『夢の蛇』核心のSF的アイディアでのジェンダー観への異議申し立てだけでなく、「合意ある性交渉の抑圧(たとえば決められた結婚の強制)」「それでいて婚姻の範囲を超えた、強者による弱者への合意を得ない性交渉は大目に見られがち」な性道徳(Where is 道徳?)に対し、あくまで「双方の合意に基づく自由(
あ、正しく人権としての自由ね)な性交渉」を行動指針にした主人公の立ち位置など、アンチ封建制・アンチ家父長制。フェミニズムSFへの意欲が伺えて良かったです。(『太陽の王と月の獣』では、そのへん少し通俗的なロマンスに後退しちゃってた気がするんだよなあ…数十年前の読書なので間違ってるかもですが)
とゆうわけで旅行の最終日、始発の次の列車で新潟に行って、カレーを食べて、終電のひとつ前の列車で横浜に帰ってきたエクストリーム・スポーツみたいな旅程で実は、新潟で帰りの電車に飛び乗る前に駅南口の丸善ジュンク堂書店に飛びこんで買ってきたのが
ヴァージニア・ウルフ『三ギニー』(原著1938年/片山亜紀訳・平凡社ライブラリー2017年/外部リンクが開きます)。
新型コロナ下に電子書籍で読んだ
『自分ひとりの部屋』(20年6月の日記参照)が滅法おもしろかったヴァージニア・ウルフが反戦について書いてるらしい・それもタイトルから察するにまた地に足のついた金銭感覚に根づいた話のようだ…という予断で手に取った本書。『自分ひとりの部屋』では時に笑ってしまったほどの「くどさ」で「戦争を止めるにはどうしたらいいと思いますか(吾々男性だけ頑張らせずに女性も何かしてくださいよぉ)ですって?
今までさんざん女性の自己決定権を奪ってきながら、よくそんなことが言えたもんですね」と延々責め立てる。何だかだ言ってぬくぬくと、男性優位社会の恩恵を受けてきた男性にとっては非常にキツい、キツい本です。
ぜひ読みましょう男性各位。
個人的に面白かった・というか宿題が増えたのは、『歓待について』でデリダが言及しているギリシャ悲劇=ソフォクレス作の主人公アンティゴネーを、『三ギニー』のウルフも取り上げていること。
正確にはデリダが取り上げているのは(物語の時系列的には『オイディプス王』と『アンティゴネー』の中間に位置する)『コロノスのオイディプス』(未読)。罪人としてテーバイを追われ、アテナイ領主のもとに身を寄せた元王オイディプスは、自身の死に場所を秘匿してデリダ言うところの「故郷から完全に切り離された亡命者」に成りおおせると同時に、追放行にも付き添っていた娘アンティゴネーから「父を弔う」権利を奪ってしまう。自身もフランスの植民地だったアルジェリアで生まれ、あまたの差別を目にしたデリダは(結局は差別と排除に帰結する)「条件つきの歓待」を問題視していたが、「無条件の歓待」もまたロトの娘のような犠牲を生む。父のために流す涙を禁じられたアンティゴネーの「涙を禁じられたことへの涙」もまた、「無条件の歓待」と表裏一体な「誰でもない亡命者」という理想が現実には避けがたく生んでしまう弊害の象徴なのだろうか。
『コロノスのオイディプス』で父を弔う権利を奪われ・父のために流す涙を禁じられた娘アンティゴネーは、また別の罪人として横死した兄弟を弔うことを禁じられ、今度は自らの命をかけて弔いを強行する―というのが『アンティゴネー』の主題だった、はずだ(未読)。こちらを足がかりにウルフが問いつめるのは(娘に客人の身代わりを命じ)アンティゴネーに兄弟の弔いを禁じる家父長制の咎だ。
姪のアンティゴネーに家父長として強権をふるうのはテーバイの現王クレオン。この人物は『オイディプス王』(いちおう読みました)ではライオス、つまり自分の実兄にあたる先王を王位ほしさにお前が殺したのではないかと(まさか自身が下手人とは夢にも思わない)オイディプスに詰問され「
私は先王の弟として皆に尊敬され良い暮らしもし、そのうえ王のような責務も背負わなくていい楽な身分だった、わざわざ兄を殺して苦労をしょいこむ理由がない」と答えた、わりと愉快な(共感できる)キャラだったのだけど、そのクレオンでも王位に就いたらアンティゴネーに恨まれ、ヴァージニア・ウルフに家父長制の悪の象徴扱いされるような役回りを演じざるを得ないらしい。
人が言語を使い役割を果たすのではなく、言語が人をつくり、役割が人を規定する。王になったクレオンの境遇も、またひとつの牢獄なのかも知れない。ちょっと強引か。

というわけで、もう来年の話じゃないので鬼も笑うまい、今年の目標(の二つ)は(1)ヴァージニア・ウルフの小説も読む(
読んでなかったんかい)、(2)ソフォクレスの『アンティゴネー』を読んでみる。あ『コロノスのオイディプス』もか。
三つか。
今年みなさまは何を読み、何に心の琴線を震わせるのでしょうか。
喪中につき遅れましたが、改めて、よい2026年を。なるべく牢獄にとらわれず、そして(やりたい放題という意味でなく)自由な年となりますように―あ、うん「自由」と「牢獄にとらわれない」って、同じ意味だけど。

(26.01.26追記)
こんなネタみたいな間違い、普通する?と発見して自分でも笑ってしまったのですが、ザミャーチンのディストピア小説『
われら』を一ヶ所『
わしら』と誤記していました…
まあ意味は一緒だけどな(違う)!

すでに訂正済み。ああ恥ずかし。
(26.01.27追々記)誤)伊東計劃→正)伊藤計劃も、そっと直しておきました…
【電書新作】スポーツ漫画を描いてみませんか?と遠い昔に誘われたことがあって、ハハハ無理ですと丁重にお断りしたけれど「20年後なら描けるかも」と答えていれば良かったか。人は変わるし世界も変わる。『
リトル・キックス e.p.』成長して体格に差がつき疎遠になったテコンドーのライバル同士が、eスポーツで再戦を果たす話です。BOOK☆WALKERでの無料配信と、本サイト内での閲覧(無料)、どちらでもどうぞ。
B☆W版は下の画像か、
こちらから(外部リンクが開きます)

サイト版(cartoons+のページに追加)は下の画像か、
こちらから。
RIMLAND、電子書籍オンリーですが20ヶ月ぶりの新刊『
読書子に寄す pt.1』リリースしました。
タイトルどおり読書をテーマにした連作に、フルカラー社畜メガネ召喚百合SF「有楽町で逢いましょう」24ページを併催・大量リライト+未発表原稿30ページ以上を含む全79ページ。頒布価格250円(+税)で、一冊の売り上げごとに作者がコーヒーを一杯飲める感じです。下のリンクか、
こちらから。

書誌情報(発行物ご案内)はおいおい更新していきます。(22.11.03)